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初心者がドラマの時間を捉えるための秘策

Feb 03, 2017

CATEGORY : 脚本

 脚本の初心者にとって難しいことのひとつに「ドラマの中の時間の流れを意識する」ということがあります。ドラマは時間の中に表現が存在しています。映画にせよテレビドラマにせよ演劇にせよ、再生または上映、上演され、作品が時間の中に流れることによって表現が成立します。それに対してドラマの設計図である脚本は、文字として存在しています。「何分」という時間の中で表現するドラマが、脚本では原稿「何枚」という別の形態で存在しているのです。プロの脚本家は、そのことを意識することはほとんどありません。自分が書いた脚本が映像化されることを日常的に経験しているので、ほとんど無意識化されているのです。
 しかし自分の作品が映像化されることのない脚本家志望者が「ドラマは時間の中にある」ということを捉えるのはなかなか難しいことです。初心者のプロットを読むと、1時間ドラマのつもりなのに短すぎたり、長すぎたりということがよくあります。またひとつのシーンの中でも、「いただきます」と食事を始めた人が原稿一枚分程度の会話をしただけで「ごちそうさま」とまるで1分で食べ終わったかのようなことを書いてしまったりします。
 では自分の作品が映像化されることのない脚本家志望者は、どうやってドラマの時間を捉えればいいのでしょうか。ここでは、その助けになる方法を紹介したいと思います。
 ストーリーを考えるとき、別に決まったお作法のようなものはありませんが、誰でもとりあえずは紙に思いついたことをメモするようなことから始めるのではないでしょうか。「こんな場面から始まって」「次にこんなことが起こって」などと箇条書きに書くでしょう。この作業を始める前に、紙に「矢印」を書きましょう。紙を横長に使うなら、図のように上端の右から左まで一本の線を書きます。

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 これが今回紹介する「時間を捉えるための秘策」です。これによって何が起こるかというと、「紙の右から左に向けて時間の流れができた」ということです。1時間ドラマ(正味45分)なら、ここに45分の時間が流れているということです。ここに思いついたストーリーを書いて行くわけですが、発端の出来事は当然、右端に書きます。さらにあとの流れを書くときに、時間の流れに沿って書くことを意識するのです。ドラマの真ん中あたりで起こることは真ん中あたりに書き、ラストシーンは左端に書くということです。この矢印が存在していることで、ある出来事が45分の中の何分くらいに位置しているかということを嫌でも意識せざるを得なくなるのです。
 また、主人公がストーリーが始まった時点で置かれている状況(つまりストーリーの前提となるもの)は、この矢印の下には存在しません。それは矢印の右端よりさらに右に存在しているものだからです。それは別紙に書くか、紙の右側にそういうことを書く欄を設けるのです。初心者のプロットでは、ストーリーが始まる前の設定を長々と書いて、プロットを書いたと錯覚することがあります。この方法では少なくともその誤解は避けられるはずです。
 「この方法を取ったとしても、『この展開がドラマだと何分に相当するか』ということはわからないのでは?」と思うかも知れません。それはその通りです。しかしこのやり方なら、「自分が20分くらいかと思ったことが、脚本にすると10分だった」とか「自分が考えたストーリーは後半の膨らましが足りないようだ」とかいうことをより明確に意識出来るはずです。どちらにせよ試行錯誤は必要なのです。どうせやるなら効率的に、正しい試行錯誤をしようということです。
 僕は以前は(プロになってからもしばらくは)ストーリーを考えるときはこのように紙にまず一本の矢印を書くことから始めていました。今はもう、その必要はなくなったので矢印を書くことはなくなりました。特に意識しなくても、紙の上にはいつも時間が流れているのです。

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 監督作「世界は今日から君のもの」(主演・門脇麦)が今年公開されます。

 書籍「3年でプロになれる脚本術」(河出書房新社)が発売中です。

[尾崎将也 公式ブログ 2017年2月3日]

「メタファー」は役に立つ

Jan 09, 2017

CATEGORY : 脚本

 今回は脚本の書き方と直接関係ありませんが、脚本に限らず何か目標を達成しようとするときや、問題を解決しようとするときに非常に役に立つ「メタファー」の話です。

 「メタファー」とは「暗喩・隠喩」のことです。簡単に言えば「例え」です。僕は何かにつけて「この状態を何かに例えると......」ということを考える癖があります。この癖がいつから始まったかはわかりませんが、大学の頃、立花隆さんの文章を読んでいて、「これは例えるなら、こういうことだ」みたいな話が何度も出て来て、「すごくわかりやすい。うまい例えを思いつくものだな」と思ったのがきっかけだったような気がします。
 メタファーの効用は、単に「ある状態をわかりやすく説明出来る」というだけではありません。「現状はこういうこと。ではこれからどうするか」というふうに、今後の指針や解決策を考える助けにもなるのです。例えば、ある困った状態を「壁にぶつかっている」というメタファーで表現したとします。この問題をどうやって解決するかということを考える際に、「壁」というメタファーをベースに考えて行くのです。壁の向こうに行きたいなら、ドアはどこかにないだろうか。ドアがないなら、壁に穴をあけることは出来るか。壁が厚く、穴をあける道具もないなら、乗り越えるための梯子はないだろうか。または自分の身長が伸びて壁を跨いで行けるくらいになればいいのではないだろうか、等々。色々考えるうちに「背が伸びれば確かに壁は乗り越えられるかもしれないが、背を伸ばすには時間がかかる。それよりはすでに存在している梯子を持ってくる方がよい」という結論めいたものに達します。そうしたらそれを現実世界に戻して「梯子に相当するものは何か」と考えるのです。例えばそれがある専門知識だと気づいたら、ではその専門知識を持っているのは誰かと考えを進めて行きます。このようにメタファーは現実をよりよい方向に持っていくための筋道の通った考えをするときに非常に役に立つのです。
 こういうことは誰でもある程度は無意識にやっているかもしれません。また必ずしもメタファーを使わなくても考えを進めることは可能です。しかし、メタファーの有効性を理解した上で意識的に使った方が、より明確な結果を得らるでしょう。
 もうひとつメタファーの役に立つところは、考えたことを人に説明するときに非常にわかりやすく話すことが出来るということです。
 書籍「3年でプロになれる脚本術」でも、多くのメタファーを使っています。例えば125ページの、「勉強して実力をつけることが川の土手を上流に上って行くことだとすると、プロになるのは向こう岸に渡ることだ」などというのがそれです。
 僕がこのメタファーを思いついたのは、日本脚本家連盟の教室の講師の会合でのことでした。他の講師の人が、「どうしたら人気ドラマを書けるようになるかというようなことを、もっと授業で教えたらどうか」と発言したとき、僕はその意見に違和感を感じました。その違和感とは、「どうしたら人気ドラマを書けるかはプロになってからのこと。今、生徒に必要なのは勉強してプロになる実力を身につけることではないか」というものです。これをうまく説明出来ないかと考えるうちに、このメタファーを思いついたのです。
 これを思いつくと、「どうしたらプロになれるか」という問いに対して、このメタファーを説明した上で、「十分上流に行けば(実力をつければ)自然と橋がある」とわかりやすく説明することが出来ます。また先の「人気ドラマを書けるかどうか」という問題にも「それは橋を渡ってからのことなので、今は上流に向かうことだけ考えるべき」と答えることが出来ます。本書でやっているように図示すれば、さらに説得力が増すでしょう。
 しかし、あるメタファーが必ず全てを正確に説明出来るとは限りません。この川の例で言えば、「あとどれくらい上流に行けば橋があるか、どうすればわかるか」という問題があります。これに対しては、「この川は常に霧がかかっていて、橋までの距離はなかなかわからない。とにかく上を目指すしかない」とメタファーに修正を加える必要が出て来ます(書籍巻末の脚本家志望者との座談会でその話をしています)。あるいはもっとうまく説明出来る別のメタファーを思いつくこともあるかもしれません。
 こういうことを考えるには頭の柔軟性が必要です。これは面白い脚本を書く能力とも通じるのではないでしょうか。


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 監督作「世界は今日から君のもの」(主演・門脇麦)が今年公開されます。

 書籍「3年でプロになれる脚本術」(河出書房新社)が発売中です。

[尾崎将也 公式ブログ 2017年1月9日]

書籍「3年でプロになれる脚本術」の「はじめに」を掲載します

Dec 16, 2016

CATEGORY : 脚本

※出版社の了解を得ましたので、「3年でプロになれる脚本術」の「はじめに」を掲載します。購入を検討されている方は参考にしてください。

 自転車に乗れる人が、乗れない人に自転車に乗る方法を教えるのはとても難しいことです。乗れる人は、自転車にまたがって前に進もうと思ってペダルを漕ぐだけで済みます。すでにその人の中で自転車に乗るということが無意識化されてしまっているからです。その状態をいざ言葉にして説明しろと言われても、すごく難しいことです。
 あるいは、人が自転車に乗っている状態を機械で計測して、「ペダルに体重を何%かけている」「身体を何度傾けている」というふうに数値化したとします。そのデータを自転車に乗れない人に提供すれば、乗れるようになるでしょうか。もちろんなりません。そんなデータは結果に過ぎません。自転車に乗っている人は「身体を何度傾けて」などということを意識してやっているわけではないのです。
 なぜこんな例え話をしているかというと、脚本の書き方を人に教えるときに、これらとよく似た問題が起こるからです。
 そもそも、脚本を人に教えることは可能なのでしょうか。その答えは半分イエスで半分ノーというところでしょうか。「登場人物がいてストーリーらしきものがあって、決められた枚数の中で一定の内容が描かれ、それを読めば何が書いてあるかは理解出来る」という、脚本の形をしたものを書けるようになることを仮に「第一段階」とします。ここまでは教えることが出来るし、学ぶ方も比較的容易に修得が可能です。しかしこの第一段階まで出来るようになったとしてもプロにはなれません。問題はそこから先の「第二段階」です。プロの脚本家になるには、読む人に「面白い」と思わせ、引き込み、感動させ、共感させるような作品が書けるようになることが必要です。それが難しいのです。教えることも難しいし、学ぶ方も難しい。
 僕は脚本の教室で十年以上教えていますが、世の中に色々な学校や教室がある中で、脚本の教室ほどプロを輩出することが難しいところはないのではないかと思います。それは教室の教え方がまずいからではなく、生徒が不真面目だからでもありません。それだけ脚本を修得するのが難しく、困難な道だということです。プロの脚本家がF1ドライバーだとすると、さっき言った第一段階はせいぜい運転免許が取れたくらいの位置でしょう。運転免許を取ってからF1ドライバーになるまでは、相当な距離があります。脚本を学ぶ人は、その距離を踏破しなければいけないのです。
 この本は、2013年から書いていたブログ(http://ozakimasaya.jp/blog/)に大幅に加筆し、再構成したものです。このブログは、教室で生徒に教えたり自分がプロとして仕事する中で、その都度思いついたことを気軽に書いたものです。脚本の書き方や勉強法を体系的に書いたものではありません。ブログを読んだ仕事関係の人からは「あれを本にしたら?」と何度か言われたのですが、あまりそういう気になれませんでした。他にも脚本の書き方を書いた本はたくさん出ているし、どの本もそれなりにちゃんとしたことを書いているし、自分のブログをまとめたからと言って、それらの本を超えるものになりそうな気がしなかったのです。
 しかしその一方で、世に出ている脚本指南の本を読んで不満に思うこともあります。正しいことが書かれている割には、これらを読んで脚本が書けるようになる感じがあまりしないということです。それはなぜなのだろうと考えるうち、あることに気づきました。それはこういうことです。自転車の構造をいくら説明されても自転車に乗れるようにはなりません。またさっき書いたように、自転車に乗っている人が身体を何度傾けているというようなデータをいくら聞いても自転車には乗れません。にもかかわらず多くの脚本指南の本は、自転車の構造や、自転車に乗っている状態をデータ化したものを書いているに過ぎないのではないか? そんな気がしたのです(ただしこれは百かゼロかという話ではありません。脚本の書き方は、自転車の構造の話と自転車に乗る方法ほど単純に分離が出来ないところにも厄介さがあります)。
 従って、今回正式にブログを本にしないかというお話をいただいたとき、目指すべことは明らかでした。自転車の構造説明や、自転車に乗っている人のデータに当たるようなことを書くだけでなく、本当に脚本を書けるようになる方法や具体的な勉強法を書いた本に出来るかどうかということです。それが出来れば、脚本に限らずクリエイティブ全般、さらには人生において何かの目標を達成しようとするときにも役立つような本になるのではないかと思いました。
 以上のようなことから、本書では先に述べた「第一段階」のことはあまり書きません。その点について書いた本はたくさん出ていますので、そちらを読んでください。

 脚本を書く仕事は実に楽しい仕事です。好きなことをしてお金を貰える、まさに趣味と仕事の一致です。この本を読んで、一歩でもこの世界に近づける人が出て来ることを願っています。

[尾崎将也 公式ブログ 2016年12月16日]

告知が2件です

Dec 15, 2016

CATEGORY : 映画

★映画監督作「世界は今日から君のもの」17年公開

 監督した映画「世界は今日から君のもの」が17年に公開されることになりなした。
[監督・脚本]尾崎将也
[出演]門脇麦、三浦貴大、比留川游、マキタスポーツ、駒木根隆介、YOU他
[音楽]川井憲次
[プロデューサー]三宅はるえ
[撮影]福本淳
「照明」市川徳充

 引きこもりの女の子が主人公のコメディです。門脇麦さんとは、14年に「ブラック・プレジデント」で初めて仕事をして、それ以来彼女を主演に映画を撮りたいと思うようになりました。それが実現したのがこの作品です。

 門脇麦さんのコメント(記事より)「ドラマでの出会いがこうして今作へ繋がったことがまず何より嬉しいですし、尾崎さんとの出会いに感謝しています。尾崎さんが描く役を演じていると、いつもその子を抱きしめてあげたくなるような、守ってあげたくなるような気持ちになります。真実ちゃんにもそんな気持ちを抱きながら、尾崎さんの物語の中の真実ちゃんが、そのまま画面に映っていますようにと、願いながら向き合いました」

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★書籍「3年でプロになれる脚本術」(河出書房新社)刊行

 このブログに書いていたことに、大幅に加筆して再構成したものです。他の脚本指南本とは違って、脚本の勉強とは、何を、どんなふうにやればよいかということを抽象論や精神論ではなく、具体的に書いたものになりました。たぶん他のどの本にも書いていないようなことが書かれていると思います。

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[尾崎将也公式ブログ 2016年12月15日]

セリフに関する注意点

Sep 23, 2016

CATEGORY : 脚本

 前にト書きについて書いたので、今回はセリフについて書きます。かなり初心者向けの内容です。

 脚本を書く作業の中で、「セリフ」を書くことは当然大きなウエイトを占めるものです。そして難しいものです。「セリフは才能に負う部分が大きいので、教えることは出来ない」と言う人もいます。確かにそうなのでしょうが、そう言ってしまうと脚本を書くこと全てが「所詮、才能で決まる」ということになってしないます。「これから勉強することで何とかなるか」ということを、教える方も学ぶ方も考える必要があります。そして、少なくともあるレベルまでなら勉強で何とかなります。

 初心者がセリフを書くときに最初に直面する問題というと、どの人物のセリフも画一的で個性のないものになってしまうということでしょう。これはけっこう個人差があって、初めて書いてもそれなりにキャラを感じさせるこなれたセリフが書ける人もいれば、まるでロボットが喋っているような機械的で一本調子なセリフしか書けない人もいます。
 後者のようなセリフを読んだときに不思議に思うのは、「普段自分や周囲の人はそんなふうには喋っていないことにどうして気づかないのか」ということです。
 「どうすれば名セリフが書けるか」というような高度な話ではなく、「普通に人間が喋っていると感じられリアルさや、それぞれの個性が感じられるようなセリフ」はどうしたら書けるのでしょうか。
 まず第一には、普段の生活の中で、自分や周囲の人が喋っている言葉に敏感になり、よく聞くことです。前に脚本を書くには人間に興味を持っている必要があると書きましたが、人間に興味を持つということは、当然人間が喋る言葉にも興味を持っていることになるはずです。生活の中であったことを色々と思い返せば、「あの人の話し方の特徴はこうだな」とか「あの言い方は面白かったな」などということが出て来るでしょう。

 映画を分析する中にも、セリフに関することは当然含まれます。面白いセリフ、うまいセリフにぶつかれば、「あのセリフは面白かった。その理由はこうだ」とあ「あのセリフには、人物の気持ちやキャラを表現するためにこんな工夫がされている」などということをよく考えて、それを積み重ねて行くことです。

 それ以外にセリフの勉強になることとして、落語を聞くことがあると思います。落語は一人の人が、色々な人物を演じ分けます。そのときにいちいち「次に誰それが言いました」などとは言いません。それでもどの人物が喋っているかわかります。それぞれの人物をどう演じ分けているか、キャラの特徴をどのように捉えているかなど、非常に参考になります。

 教室などで、「よくないセリフ」と言われることが多いのは、「説明セリフ」と「長いセリフ」です。
 説明セリフが全面的にダメということはありません。セリフの中に説明の要素は多かれ少なかれ入ってくるものです。刑事ドラマの捜査会議で事件の状況を話すセリフはまさに説明です。またミステリーのクライマックスで探偵や刑事が推理を述べるのも説明です。ドラマを見ている人が、「その説明を聞きたい」と思うシーンなら問題ないのです。
 一方、普通の会話の中に「いかにも説明」という感じのセリフが入ると、見る人が白けてしまいます。それを「説明っぽく感じさせない」または「説明を人物の気持ちやキャラの表現に置き換える」ための工夫をすべきです。よく出来た映画を分析していれば、そのような例はいくらでも見つかるはずです。
 長いセリフも、それ自体が悪いなどということはありません。名作の中には、長ゼリフが観客を引き込み、感動させるということはいくらでもあります。初心者の長ゼリフのほとんどは、さっき述べた説明ゼリフが高じて長くなってしまうというケースでしょう。人物の気持ちを語っているつもりでも、実は「気持ちを説明しているだけ」という場合が多いです。
 セリフの長さの感覚については、名作を見るよりは、その脚本を実際に読むことでわかることが多いのではないかと思います。その方が、セリフの長さが目で見てわかるからです。プロが書いた脚本は、アマチュアが書いたものよりも短いセリフのやりとりが多いです。コンクールの審査などでアマチュアの作品を読んだとき、パッと見て「黒い」、つまりびっしりとセリフが書いてあると、「ああ、初心者だな」とわかります。長いセリフがダメというよりは、ちゃんと人と人の言葉のやりとりになっているということに着目することが大切です。

[尾崎将也 公式ブログ 2016年9月23日]

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