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キャラクターをどうやって作るか、という前に必要なこと

Oct 19, 2014

CATEGORY : 脚本

 「登場人物のキャラクターってどうやって作るんですか?」という質問をよく受けます。その質問を聞く度に、少し不思議な気がします。「すごく魅力的なキャラ」や「多くの人の共感を得られるキャラ」を作るのは難しいかも知れませんが、とりあえずその人物なりの特徴や個性のあるキャラを作ることがさほど難しいとは僕には思えないのです。なぜかと言えば、我々は生きていると現実に多くの人と知り合ったり関ったりします。出会う人それぞれが違う個性や特徴を持っているのですから、登場人物のキャラを作るとき、これまで会った色々な人を思い浮かべて行くだけでも自然とキャラは出来るのではないでしょうか。
 「いや、それが難しいんだ」ということだとすれば、普段人間を見る視線に何か問題があるのではないかと思われます。世の中には、様々な年齢、職業、立場、性格、考え方の人がいます。社会の中で起こるいいことも悪いことも、言ってみればみんなキャラのぶつかりあいから生まれるものです。それらをちゃんと見て、そして考えているかどうか。
 人それぞれ、興味のある分野があります。例えば僕は戦車が好きなので、戦争映画を見ていて戦車が出て来ると、つい目が行きます。そして「この戦車は何々だから、ここに出て来るのはおかしい」などとウンチクを語ったりします。でも戦車に興味のない人にはどんな戦車が出て来ようが違いなど関係なく、戦車一般でしかないのです。
 一方僕はファッションに興味がないので、人の服装に全く目が行きません。でも興味のある人には、ちょっとしたコーディネイトの違いなどに目が行くのでしょう。
 どんな分野であれ、興味があるからこそ、その話題で人と盛り上がったり、情報を集めたりするからますます詳しくなって行きます。そしてより細かいところや深い部分に目が行くようになるのです。
 脚本を書く者は、「人間」に興味がなければなりません。いつも興味を持って人を観察して、それぞれの個性の違いに目が行ったり、「あの人はどうしてああなんだろう」と考えたりしていなくてはなりません。それは単なる好き嫌いとは違います。むしろ嫌いな人とか、相性の悪い人ほどよく観察する必要があります。
 興味を持って見ていると、人間は単純なものではないとわかります。例えば人には表と裏があります。本音と建前が違ったり、相手によって言うことを変えたりもします。また自分でも気づいていない無意識の言動もあります。そう言った複雑さを持った人間たちが関わり合うことで世の中に色々なことが起こるわけで,人を単独で見るだけでなく、関係性で捉える視点も必要です。
 もうひとつ大切なことは、自分にとって一番身近な人間は自分なのだから、一番簡単に観察できる対象は自分だということです。自分がどんな人生を生きて来たかということは詳しく知っているし、今どんなことを感じているかという頭の中身もわかります。自分はどんな人間で、何を感じ、何を考えているか、自分の個性はどんなものか、どうして自分はこういう人間になったのか、他の人と何が違うか。そういったことを考えることが重要です。
 また、これらのことに興味を持っていると、自然とそういうことが書かれた本が読みたくなるものです。僕の場合は、ユングの心理学に興味を持って色々な本を読んだことが、人間を理解する上で、さらには脚本を書く上で非常に役立っています。

 キャラクターを作るということが出来るようになるには、テクニックとかノウハウ的なことよりも、その前段階として普段から自分を含めた人間にどれほど興味を持って見ているか、どれほど考えているか。まずはそのことが大切なのです。
 そして、人間を知るということに関しては、これで十分というゴールはありません。おそらく一生勉強は続くのでしょう。

[尾崎将也 公式ブログ 2014年10月19日]

ストーリーはデジタル、人間はアナログ

Aug 25, 2014

CATEGORY : 脚本

 以前、フォロワーの人から脚本における「変化」と「一貫性」の問題について質問を受けていたので、そのことについて考えてみます。

 ドラマには「一貫性」というものが要求されます。物語の一貫性、人物の性格や心理の一貫性、テーマの一貫性など。しかしこれらは脚本を勉強する人にとって、わかりにくいことのようです。「一貫性」が大切という一方で、「人物は変化・成長しなくてはいけない」などとも言われたりするからです。実際、物語は展開し、当然色々なことが変化して行きます。一貫性と変化。この二つをどう整理をつけて考えればよいのか。

 このことを理解するためには、「一貫性」と「変化」という言葉を使うより「デジタル」と「アナログ」という言葉を使った方がわかりやすいのではないかと思います。アナログは連続的に変化して行くことです。デジタルは、変化があるとしても「0」か「1」かというふうにギアチェンジするような変化をするようなことです。ドラマの中では、ストーリーは「デジタル」、人間は「アナログ」という言い方が出来ると思います。
 例えば、ある主人公が詐欺にあい、全財産を取られて家族が崩壊してしまったとします。そこでこの主人公は詐欺の犯人を捕まえて復讐しようとするとします。この「主人公が詐欺の犯人を捕まえて復讐しようとする」というのはデジタルな設定として存在します。ドラマの観客は「これから主人公は犯人を追うんだな。たぶん最後には犯人を捕まえて復讐を果たすんだろう」と思って見るわけです。作り手の「この話をやります。見てください」というデジタルな設定に対して、観客は「わかった。それを見るよ」と思い、両者のやりとりが成立するわけです。これが「なんの話をやるのかわかりません」と作り手に言われると、観客も「じゃあ、見ていいかどうかわからないよ」と言うしかなくなってしまいます。作り手がデジタルな提示をすることで、初めて観客が「それを見よう」と反応出来るのです。(どういう話なのか全くわからないことで興味を引くやり方もありますが、例外的なものと言っていいでしょう)
 一方、人間の心理はアナログです。そのときどきで変化します。復讐に燃えて行動していても、他に愛する人が現れたりしたら、復讐心が弱まったりします。逆にそれが何かのきっかけで再燃したりもします。やがて、主人公が犯人を突き止めたとします。「よし、復讐してやる」と思って犯人に接近する主人公。しかし犯人にも事情があり、必ずしも悪人ではなっかたことを主人公は知る。すると主人公の復讐心は揺らぎます。このように心理はアナログに変化して行くのです。
 ところがこのとき、「主人公が復讐を目指す」というストーリーはデジタルに設定されたままです。このことは主人公の「俺は復讐すると決めたんだ。ここで引き下がるわけに行かない」という思いとなって現れ、一方で揺らいでいる復讐心との間で葛藤が起こるのです。この両者のギャップこそが、「復讐することは果たして正しいことなのか?」というようなドラマ性につながって行くのだと思います。

 実例を挙げましょう。例えば「ローマの休日」。主人公のブラッドレーは、アン王女をローマの街を案内し、その写真を隠し撮りして特ダネにしようとします。これはデジタルなストーリーの設定で、彼はこの設定に従い、行動します。しかし王女をローマの街を案内するうち、彼女ヘの好意が芽生えて来ます。そして最後にはせっかくモノにした特ダネ写真を封印してしまうほど、彼女への好意が強くなっているのです。このときの彼の王女への気持ちはアナログです。あるとき突然ゼロから百になったりはせず、次第に彼の心の中でふくらんで行くのです。

 また、ときには人物の心理がデジタルに急変することもあります。例えば愛する人に裏切られ、愛が憎しみに突然変化するとか。これは「裏切りを知る」というデジタルなストーリー展開に人物の心理が引きずられているということでしょう。そして憎しみ一色になったように見える人物の気持ちの中にも実は愛情が残っていたりと、アナログ要素は必ずあるのです。

 この「デジタル」と「アナログ」の考え方は、他の脚本の参考書などでは見たことはありません。しかしプロはこういうことを無意識にやっています。生徒はこの点をちゃんと把握していないので、ストーリー上の設定と人物の心理の変化がごっちゃになってしまい、どこに行くかわからない、とりとめのない話になってしまったりするのではないかと思います。

[尾崎将也 公式ブログ 2014年8月25日]

たくさん仕事をするこということ

Aug 22, 2014

CATEGORY : 脚本

 去年の秋頃から、かつてないほどの量の仕事を同時進行でやっていました。4月クールの「ブラック・プレジデント」(全11話)、7月クールの「吉原裏同心」(全12話)、「ラスト・ドクター」(全9話)、「匿名探偵」(全9話中5話)、あと単発の「ママが生きた証」です。数日前にやっと全部終わりました。
 仕事をたくさんいただけるということはありがたいことです。仕事の依頼に対して「今ちょっと忙しくて......」とこちらが難色を示したときに、「じゃあ、別の人にお願いします」とアッサリ言われるよりは、「そこを何とか。ぜひ尾崎さんにお願いしたいんです」と言われた方が当然嬉しいわけで、そう言われるとつい引き受けてしまうのが人情です。そうこうするうちに、「いくらなんでもやりすぎでは?」みたいな状況になってしまったわけです。
 仕事をたくさん受けたとき、一番懸念されることは、「ちゃんと所定のスケジュール内に相手に迷惑かけることなく全部書けるか」ということです。この点をどうやってクリアするかと言えば......「ひたすら仕事する」。これ以外にありません。とにかく仕事以外のことは極力しなくてもいい状態にして、それでも足りなければ睡眠時間を削るしかありません。こういうとき意外にネックになるのが「移動時間」です。都心に住んでいてよかったと思いました。
 次の問題は、「たくさんやり過ぎることでクオリティが落ちないか」ということです。これは自分では何とも言えないので、周囲の人に判断してもらうしかありません。今のところ「最近書くもののレベルが落ちたな」とか「二度とお前とは仕事しない」とは誰にも言われず、引き続き次の仕事の話が入って来ている状態なので、何とかなったと思っていいのでしょうか。
 次に体力や健康面の問題。4月頃の一番大変だったとき、ひと月ぶりくらいに会った人にいきなり「尾崎さん、大丈夫ですか!?」と言われてしまいました。それくらいやつれて疲弊した様子だったようです。しかし何とか倒れることもなく、最悪の時期を脱することが出来ました。朝ドラのときは一度熱を出して寝込みましたが、今回はそういうこともありませんでした。
 よく聞かれるのは、「何本も平行して書いていて内容がごっちゃになりませんか」ということですが、それは全くありません。ただ単語登録している固有名詞は注意が必要です。「ブラック~」の主人公「三田村」と「吉原裏同心」の主人公「「幹次郎」は両方「み」で登録しているので、ときどき打ち間違えました。あと、プロデューサーに間違えて別のドラマの原稿を送ってしまったことが一回ありました。笑って許してもらえたので、胸をなでおろしました。
 しかし、これだけ忙しくても、原稿の分量で言えば、朝ドラはよりは少ないのです。その一方、今回は単発も含めて5本の作品の企画や人物設定を作ってドラマを「立ち上げる」という作業が必要だったわけで、原稿の量とはまた別の大変さがありました。

 今回の忙しさを経験して思ったのは、仕事が忙しいことの最大の問題は、「インプットの時間がなくなること」です。映画を見たり本を読んだり、どこかに出かけたりすることで、刺激を受けたり影響を受けたりしながら自分の作品をアウトプットして行く。それがクリエイターの理想です。そのインプットが全く出来ないというのはやはり問題です。それでも何とかこれだけの量のアウトプットが出来たのは、過去のインプットの蓄積のおかげだと思います。

[尾崎将也 公式ブログ 2014年8月22日]

脚本には相対的な思考が大切

Jun 07, 2014

CATEGORY : 脚本

脚本を書くには、物事を「相対的」に捉えることが大切です。簡単に言えば色々な事柄を比較して考えるということです。
人間の心理は、比較対象の存在によって大きく変わって来ます。例えば10万円貰えると思っていたのに1万円しか貰えなければガッカリするのに対して、千円くらいを期待していたときに1万円貰えれば逆に嬉しい気持ちになります。また他の人がいくら貰うかで自分が貰った1万円の評価が変わります。みんなが10万円貰っているのに自分だけ1万円なら不満でしょうが、みんなが千円しか貰っていなければ1万円が嬉しく感じます。このように1万円を貰う嬉しさは絶対的なものではなく、他のものとの比較や前後関係によって変わって来るわけです。このメカニズムはドラマの中でも非常に重要な要素となります。
例えば、スーパーマンのようなヒーローがチンピラをやっつけても面白くありません。スーパーマンの敵は、世界を滅亡させようとするような強大な悪者でなければならないのです。スーパーマン自身が強いから、それ相応の相手が必要だということです。それに対して気弱な若者が闘う相手なら街のチンピラでいいわけです。

このことを書こうと思ったのは、生徒の脚本を読んでいて、相対的なものの見方が苦手な人が多いということに気づいたからです。例えばある生徒の作品では、主人公の女性がヤクザの親分と関わるのですが、この女性のキャラが気の強い女性に設定されていました。主人公の女性が強ければ強いほど、相対的にヤクザはあまり怖くなくなります。もしヤクザの怖さを引き立てたいと思ったら、主人公は気弱なキャラにすべきです。または強いヒロインによってヤクザがタジタジとなる様子を面白く描こうとするなら、脇役としてヤクザを怖がるキャラを出しておくことが必要になります(伊丹十三監督の『ミンボーの女』のように)。それに対してこの作品を書いた生徒は、気が強い女性のキャラを面白いと思い、それだけでその作品を書いてしまったようです。少なくとも「このキャラは気が弱い設定の方がいいのではないか?」ということに気づいて、気が強い場合と弱い場合でドラマはどのように変わるかを検証することが必要でしょう。

このように脚本を書く上では、縦方向・横方向に色々なことを相対的に比較検討して行く必要があるのです。既存のよく出来た作品は、当然こういうことがちゃんと考えられています。面白い作品を分析して、そのことに気づいて行かなくてはなりません。

[尾崎将也 公式ブログ 2014年6月7日]

コンクールに入選。それからどうする?

May 01, 2014

CATEGORY : 脚本

フォロワーの人から、「あるコンクールの佳作を受賞したのだけど、これからどうすればいいでしょうか」という質問をもらったので、僕なりに答えられることを書いてみます。

まず認識する必要があるのは、コンクールに入選することイコール「脚本家という職業に就職すること」ではないということです。コンクールはあくまで「おめでとう」と言われて賞金など貰えば、それで一旦終りです。では、そこからプロになるためにどんなルートがあるのでしょうか。
そもそもプロの脚本家になるというのはどういうことでしょうか。脚本家に仕事を依頼するのは、テレビ局か製作会社のプロデューサーです。プロデューサー(以下P)が、ある仕事を始めるとき、「今回の脚本はあの人に書いてもらおう」とある新人に仕事を依頼し、新人もその期待に応えてOKが出る脚本を書き、脚本料をもらったとき、脚本家としてデビューしたと言えるのです。
Pが、まだデビュー前の人に「この仕事はあの人に頼もう」と思うには、Pがその人が書いた脚本を読み、「この人は力があるな」とか「一度仕事してみたいな」などと思うことが必要です。その人の書いた脚本を評価しているという状態がない限りは何も始まらないのです。
プロの脚本家になる上で、コンクールに入選することは、Pに脚本を読んでもらうための一番の早道だと言えます。特にテレビ局主催のコンクールは、自分の局で使える新人を発掘するためにやっているわけで、その局の複数のPに作品を読んでもらえるチャンスです。読んでもらい評価してもらうという意味では、必ずしも大賞である必要はなく、佳作とか最終選考でもいいのです。実際、フジテレビ・ヤングシナリオ大賞では、大賞でなく佳作や最終選考に残った人の中からプロになった人が複数います。

逆にコンクールで賞を取ったのに、その後仕事の話が来ることもなく、そのまま終わってしまうということも珍しくはありません。これはPとの出会いがなかったということでしょう。
だから賞を取った人がどうすればいいかと言えば、少しでも自分の作品を気に入ってくれたPとコンタクトを取って親交を深めるように努めるということでしょうか。このとき具体的にやることが、企画書やプロットを書くということです。相手から依頼があるとこともあるし、自分から何か書いて持ち込むということもあります。これはその企画が実際に採用されるかどうかよりも、Pとつきあいを深めて行くことが目的だと言っていいでしょう。
しかし人の出会いというものは全く予測不可能で、そうやってやりとりしていたPとは結局仕事をすることはなく、関係ないところからひょっこりと仕事の話が来たりすることもあります。
ついでに言うと、プロになる道としては、コンクールの入選以外に「紹介」と「持ち込み」があります。紹介は教室の講師の脚本家などに知っているPを紹介してもらうということです。持ち込みは自分でPを選んで「読んでください」と作品を持って行くというパターン。どちらにしても、あるコンクールで賞を取ったということはアドバンテージになります。紹介する人も「この人はあのコンクールで賞を取ったんですよ」と言うと紹介しやすいし、持ち込みの場合も読んでもらいやすくなるでしょう。
一方、コネさえあればプロになれるというようなことは全くありません。Pだって面白いドラマを作らなければいけないのだから、力があるかどうかもわからない人に仕事を頼むはずがありません。逆に言えば、面白いものを書く力を持っていれば、どこかで相性のいいPと出会うことがあるはずです。
前に書いたかも知れませんが、勉強して実力をつけることが川の土手を上流に歩いて行くことだとすると、プロになることは向こう岸に渡ることです。上流に行けば(実力をつければ)、渡る橋は必ずあるものです。橋がなかなか見当たらないとすれば、もっと上流に行かなければいけないのだと思った方がいいでしょう。

[尾崎将也 公式ブログ 2014年5月1日]

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