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脚本家になる3つの道筋

Aug 02, 2016

CATEGORY : 脚本

 ツイッターのフォロワーの人から、原稿の「持ち込み」について質問があったので、今回は持ち込みも含めた、プロになる方法についてまとめてみたいと思います。プロになる道筋には、煎じ詰めると3つあります。「コンクール」「紹介」「持ち込み」です。以下、それぞれについて述べます。

「コンクール」
 コンクールについては、前に書いたものがありますので、そちらを読んでください。

「紹介」
 脚本家をしていると、知り合いのプロデューサーから「新人でいい人がいたら紹介してください」と言われることがあります。大抵は原作をプロットにまとめるような仕事をしてくれる人を求めているケースです。まれにシリーズものの一本を書いてくれる人を求めているような場合もあります。知っている教室の生徒などで紹介に足る実力のある人がいれば、または相手が求めている仕事内容に合っていそうな人がいれば、紹介するわけです。当然、いい加減な人を紹介して、全然使えなかったなどということになると自分の信用を落とすことになりますので、「この人なら大丈夫」と思える人しか紹介出来ません。

「持ち込み」
 マンガの世界では、持ち込みがシステムとして機能しているようですが、ドラマの世界では特にそのようなことはありません。しかし持ち込みが禁止されているわけでもありませんので、やろうと思う人がやるのは自由です。どのようにやるというルールがあるわけではありませんが、漠然とテレビ局宛てで原稿を送っても、見てもらえない気がします。誰かプロデューサー個人に宛てた方がよいでしょう。どの人に送るかは自分で決めることです。自分が好きなドラマを作った人とか、「この人と仕事したい」と思う人がよいでしょう。直接電話するのはあまり得策とは思えません。局に電話してもプロデューサーがいる確率は低いし、いたとしても相手は忙しいので見ず知らずの人から電話がかかって来ても迷惑がられるでしょう。やはり最初は郵便などで送る方がいいと思います。「自分はこういう者です。脚本を送らせていただくので、よろしければ読んでください」と丁寧な手紙をつけるのは当然です。もちろん自分の連絡先も書き添えます。このとき肝に銘じて欲しいのは、「読んで貰えたら儲けもの」というくらいの気持ちでいることです。知らない人から読んでくれと言われても、相手に読まなければいけない義理はありません。「そのうち読もう」と思ってそのままになってしまったとしても文句は言えないし、「読んだけど面白くなかったのでコンタクトは取らない」という結果になる可能性もあります。
 これらのことも踏まえると、持ち込みをするのは、ある程度のレベルのものが書けるようになってからがよいと思います。レベルの低い作品を読ませるのは相手にとって迷惑です。せめてどこかのコンクールで最終審査に残ったことがあるくらいの力がついてからにして欲しいものです。こんなことを書くのは、これを読んでたくさんの人が持ち込みをするようになり、知り合いのプロデューサーに「お前がブログにあんなことを書くから、ひどい作品がたくさん送られて来るようになって迷惑してる」と文句を言われるのではないかとちょっと不安になるからです。
 持ち込みに関して割と詳しく書きましたが、なぜかというと自分がかつてしたことがあるからです。フジテレビのヤングシナリオ大賞を受賞する前のことです。ある日、新聞の夕刊に「日本テレビで若者向けの深夜ドラマの枠が新しく出来た。この枠では新人脚本家の育成も目的としている」という記事があるのを読みました。僕はこの番組の担当者あてで、ダメ元で自分の作品を送ったのです。すると数日後にプロデューサーから電話がかかって来て、「作品を読んだが面白かった。一度会おう」と言われました。この後、その人と一緒にプロットを作ったものの、結果として仕事には結びつきませんでした。しかしこのプロデューサーとは親交が続き、プロになってから何度も仕事をすることになりました。だからダメ元で持ち込みをやってみるのが悪いことではないことを身をもって知っているのです。このプロデューサーは、たまたまこういったことにマメに対応してくれる人だったようですが、「これまで送られて来た作品を何度か読んだが、連絡しようという気になったのは初めて」と言っていました。

 脚本家に仕事を頼むのは、プロデューサーの仕事です。「コンクール」「紹介」「持ち込み」という3つの道筋は、最終的にはプロデューサーにつながります。プロデューサーに自分の作品を読んで貰って実力を知ってもらい、「この人と仕事したい」と思ってもらうことが目的なのです。
 あと、たまに脚本ではなくいきなり企画書を書いてプロデューサーに見てもらおうとする人がいますが、あまり意味があるとは思えません。仮にその企画書が面白くて採用になったとしても、アイデア料をいくらか貰うだけで、脚本は他のプロの脚本家が書くことになります。脚本の仕事を貰うには、あくまで脚本を読んで貰って実力を認めてもらうことが必要なのです。脚本を読んだことがないのに、企画書だけで「君に脚本を書いてもらおう」などということはありません。

[尾崎将也 公式ブログ 2016年8月2日]

ト書きはこれで大丈夫

May 01, 2016

CATEGORY : 脚本

ト書きの書き方について時々質問を受けるので、まとめて書いておこうと思います。初心者のうちは戸惑うことはあるものの、「ト書きとはこういうものだ」と一度わかってしまえば、あとはそう悩むほどのものではありません。プロの脚本家がト書きで悩んでいるという話は聞いたことがありません。「ここで主人公は立ち去るべきか、残るべきか」を悩むとしても、それはドラマの中身で悩んでいるのであって、ト書きの書き方で悩んでいるわけではありません。物語、キャラクター、セリフなどはプロでも常に苦心しており、その苦心が終わることはありませんが、ト書きで苦心するのは割と早い段階で終わるはずです。

ト書きは「歩いて来る」「座る」などの人の動きや「泣きながら」「笑顔で」などの表情、あとは「古い雑居ビルが建っている」とか「雨が激しく降っている」などその場の状況を、目に見えるものを具体的かつ簡潔に書くものです。こう書くとひどく簡単なようですが、初心者が犯しやすい間違いがいくつかあります。

生徒のト書きに関する間違いの原因は、大きくふたつあります。それは「時間を意識できないことによるもの」と「映像を意識できないことによるもの」です。
まずひとつめの「時間」に関すること。初心者に多い例として、人物が食卓に座って「いただきます」と食べ始めて、いくつかセリフのやりとりをしたところで「ごちそうさま」と食べ終わって席を立ってしまうようなケースがあります。これだと1分くらいで食べ終わったことになってしまいます。脚本を書くには、その行為や会話にどれくらいの時間がかかるかを常に意識する必要があるのです。この例の問題を解決するには、食べ始めからシーンを始めて食べている途中で終わる、食べている途中から始まって食べ終わるまでを描く、食べている途中から始まって途中で終わる、または食べている途中で時間経過させて食べ終わるところに飛ぶ、などの方法があります。
上の例はシーン全体に関わるようなケースですが、ト書き一行でも同じような問題が起こります。(先日ツィッターにも書きましたが)「レジで金を払う」と書くと一見5秒くらいで終わるような感じがしますが、実際は「財布を出す→レジに金を置く→店員が金を受け取り、釣りを出す→釣りを受け取り財布に入れる」などの一連の動きには30秒くらいはかかります。だからト書きに「レジで金を払う」とだけ書くと、その30秒間、ただ金を払うだけの描写を視聴者に見せるのか?ということになってしまいます。こういうことがわかっていれば、それを避けるために金を払う描写を省略するとか金を払いながらセリフのやりとりを続けるなどの方法を取ることが出来ます。
次に「映像を意識出来ない」ことで起こる問題です。以前、生徒が何の気なしに書いた「誰それが車にひかれる」というト書きを見てびっくりしたことがあります。この文は日本語としては特に問題ありませんが、脚本のト書きとしては大きな問題があります。ト書きをこう書くと、実際に人が車にひかれる残酷な描写を映像化するのか?そのためにスタントマンを使うのか?それともCGでやるのか?などということになってしまうのです。現実にはテレビドラマではそんなことはしません。普通は「太郎が道を渡る。一方から車が猛スピードで走って来る。それを見て顔が恐怖に歪む太郎」などと書いて、事故の瞬間は見せない形にします(これは一例であって、これが優れた描写ということではありません。また映画などでこのような残酷な描写をあえてする場合はあります)。つまりト書きは「こんな映像を撮ってね」と現場に指示する意味合いもあるのです。だから書く側はその映像を頭に思い浮かべた上で書く必要があります。
「時間を意識していない」「映像を意識していない」と書きましたが、ではこういうト書きを書く初心者が何を意識しているかと言えば「文字」だけです。しかしテレビドラマや映画の脚本は、最終的に俳優が演じたものを映像にするために書きます。常にその最終形を具体的に意識する必要があるのです。
「映像にする」と関わることでもうひとつ非常に大事なことは、ト書きは「目に見える具体的なことを書く」ということです。例えば「彼の心に愛情が沸き起こって来る」などと外から見えないことは書きません。こういう外から見えないことをどう表現するかを考えるのも脚本を書くということの重要な要素です。

あと生徒からよく聞かれるのは、「どのくらい詳しく書けばいいのか」ということです。これは「必要なだけ」としか言いようがありません。例えば散らかっている部屋をどの程度描写するかと言えば、「ひどく散らかっている部屋」だけでも問題ありませんが、「脱いだ服や食べた後のカップ麺の容器が散乱している」と書き加えてもいいでしょう。しかし「脱いだズボン、シャツ、下着、靴下などが......」とまで書くと、「そこまで書かなくていいよ」という感じがします。ただ、これがその人物の初登場のシーンで、いかにこの人が片付けられない性格かを強調したいということなら、絶対ダメとも言えません。というように別に絶対的な基準があるわけではないのです。

ではト書きをどのように勉強すればよいのでしょうか。僕はト書を意識的に勉強した記憶はありません。上記のような間違いがあればその都度指摘を受けて直して行けば、やがてはわかって来るものだと思います。あえて勉強したいということであれば、まず映像になったドラマなどを見て、このシーンのト書きはどう書かれているだろうと想像しながら自分なりに書いてみて、後で実際の脚本と比べてみるとよいのではないでしょうか。これをやるには脚本が月刊ドラマに掲載されるなどして入手出来るものである必要がありますが。

[尾崎将也 公式ブログ 2016年5月1日]

脚本の初心者にありがちな間違いと処方箋

Sep 12, 2015

CATEGORY : 脚本

脚本の教室で生徒に教えていて、数多くの生徒の作品と接していると、一定の確率で出て来る生徒に共通の典型的な問題があることに気づきます。今回はその代表的な例をいくつか紹介します。

①これは前にツイッターでも書いたことですが、生徒のプロットでは「そして二人は愛を育んで行く」などと、「そこが膨らませるべきとこだろう」というところを一行で済ませてしまう傾向があります。例えばA4で3枚くらいの長さのプロットなら、上記の一行は本来なら一枚分くらいの分量に膨らまないといけないような内容です。そこを一行で済ませるということは、かなりの部分はどうでもいいことをダラダラと書いているということを意味します。
 なぜこうなるかと言うと、「ドラマというものがわかっていない」ということも当然あると思いますが、それ以上に、「難しそうなことから無意識に逃げる」ということがあるのではないでしょうか。ドラマの重要な部分を書くことは、当然難しいことです。しかしそこから逃げずに取り組まないことには先には進みません。解決法としては、まずは自分のプロットを読み返して「大事なところを一行で済ませてないか」と探す作業をすることでしょう。そしてそれをどう膨らますかを考えるということが、「ドラマを作る」という作業なのです。

②生徒は、「物語を前へ前へさかのぼって書く癖」があります。その意味を映画「クレイマー、クレイマー」を例に話します。この映画の冒頭で、主人公が会社から帰って来ると妻がいきなり「私、出て行くわ」と言い、主人公が止めるのもを聞かずに出て行ってしまいます。妻が出て行くまで、映画が始まってわずか数分です。この作品は「仕事人間だった男が初めて子育てと向き合い、息子と絆を深めて行く」という物語なので、妻は出来るだけ早く出て行った方がいいのです。生徒がこの物語を書くと、「主人公は会社人間で家庭を省みない」「妻はそのことが不満」「妻は夫に不満のサインを出すが夫は気づかない」「ついに妻は何かのきっかけで爆発して出て行く決心をする」などの流れを書いて、妻が出て行くまで30分かかるいうことになります。その結果、肝心の主人公と息子の交流を描く時間が足りなくなって行くのです。この問題を解決するには「この作品で描くべきものはこれ。だから始まりはここ」という認識や判断が出来なくてはいけません。それをしないと「想像し得る物事の顛末」をどんどん前へ前へと遡って描くハメになります。生徒の作品で「物語の発生が遅い」という症状の多くはこれが原因と思われます。

③生徒とプロットの話をしていて、「この次にどうなるの?」と聞くと、「ああなってこうなって、それでああでこうで......」とこちらが「ストップ」と言うまで長々と話す傾向があります。しかもそれを聞いていて、どういう物語なのかさっぱりわからないのです。僕の質問は「次はどうなる?」ということなので、答えは「次はこうなります」と一行で済むはずです。例えばシンデレラで「舞踏会の夜にシンデレラは家事を命じられ一人で家に残される」という場面があって、「その次にどうなる?」と聞かれたら、答えは「シンデレラの前に魔法使いのおばあさんが現れる」です。「その次は?」と聞かれたら「おばあさんはシンデレラに魔法をかける」です。このように物語は一行ずつの「次にどうなる」の連続で作られているものです。「そんなの当たり前」と思うかも知れませんが、多くの生徒は「次にどうなる?」の質問に一行で答えることがなかなか出来ません。自分が書いている物語をちゃんと把握していないからでしょう。さらに言えば、そもそも「物語を考えていない」からです。解決策としては、物語を作るときには「次にこうなる」「そして次にこうなる」とその物語を一行ずつ説明出来るか?ということを常に意識しながら考えることでしょう。その物語が面白いかどうかは、その先の話なのです。

[尾崎将也 公式ブログ 2015年9月12日]

「シャレード」はドラマを面白くする鍵

Jan 28, 2015

CATEGORY : 脚本

 脚本の手法を表すものとして「シャレード」という言葉があります。新井一さんの「シナリオの基礎技術」の中に出て来るものです。シャレードの元の意味は「ジェスチャー・ゲーム」のことらしいですが(オードリー・ヘプバーン主演の映画『シャレード』は、この意味でしょう)、脚本の手法としては、「言葉に頼らず、何かに託して表現すること」というような意味です。「説明ではなく、映像で表現すること」全般を意味していると考えていいでしょう。しかしこの言葉はあまり普及はしていません。長年脚本家をしていて、プロデューサーや他の脚本家が「シャレード」という言葉を使うのを僕は聞いたことがありません。
 でも僕は、この言葉がもっと普及してもいいのではないかと思います。言葉が普及することで、その概念も普及するということがあります。例えば「セクハラ」という言葉が普及する前からセクハラはあったわけですが、言葉が普及することで、人々がその概念を理解して「それはセクハラですよ」と注意したりということが起こるわけです。そういう意味で、シャレードという言葉とその意味するところがドラマ関係者や脚本を学ぶ人全般に普及するのは悪いことではないと思います。
 例えば「ローマの休日」の最初の方で、アン王女がパーティの場で立っているとき、スカートの中で片方の靴を脱いで足を掻いているという描写があります。これは王女がこういう生活に退屈しているという心理を表しています。ただのギャグ以上の意味があるのです。シャレードの一例です。王女が独り言で「ああ、退屈だわ」と言えばただの説明ですが、この足を掻くという描写によって、観客はユーモラスな面白さを感じると同時に王女の気持ちを無意識に感じ取り、この作品世界にスムーズに入って行くことが出来るのです。
 これを従来のように「心理を映像で表現するテクニック」と言ってもいいのですが、「ここにシャレードがある」と言った方が「他にどんなのがあるか探してみよう」とか「自分の作品でも考えてみよう」という作業に入りやすいのではないでしょうか。
 あと、さっき「言葉に頼らず」と書きましたが、言葉によるシャレードもあるのではないか?という気もします。例えば「ゴースト/ニューヨークの幻」の中で主人公サムは恋人モリーが「愛してる」というのに対して「同じく」と答えます。これは照れとか幸せを恐れるような気持ちから出た言葉です。単に面倒だからそういう言い方をしているだけではないのです。このように、ある言葉に別の意味がこめられているような場合もシャレードと言っていいのかどうか。シャレードが映像表現に限定されたものなら、言葉は入らないということになりますが。
 いずれにしても、シャレードをいかに効果的に使うかが、脚本の面白さを大きく左右するのは間違いありません。

[尾崎将也 公式ブログ 2015年1月28日]

キャラクターをどうやって作るか、という前に必要なこと

Oct 19, 2014

CATEGORY : 脚本

 「登場人物のキャラクターってどうやって作るんですか?」という質問をよく受けます。その質問を聞く度に、少し不思議な気がします。「すごく魅力的なキャラ」や「多くの人の共感を得られるキャラ」を作るのは難しいかも知れませんが、とりあえずその人物なりの特徴や個性のあるキャラを作ることがさほど難しいとは僕には思えないのです。なぜかと言えば、我々は生きていると現実に多くの人と知り合ったり関ったりします。出会う人それぞれが違う個性や特徴を持っているのですから、登場人物のキャラを作るとき、これまで会った色々な人を思い浮かべて行くだけでも自然とキャラは出来るのではないでしょうか。
 「いや、それが難しいんだ」ということだとすれば、普段人間を見る視線に何か問題があるのではないかと思われます。世の中には、様々な年齢、職業、立場、性格、考え方の人がいます。社会の中で起こるいいことも悪いことも、言ってみればみんなキャラのぶつかりあいから生まれるものです。それらをちゃんと見て、そして考えているかどうか。
 人それぞれ、興味のある分野があります。例えば僕は戦車が好きなので、戦争映画を見ていて戦車が出て来ると、つい目が行きます。そして「この戦車は何々だから、ここに出て来るのはおかしい」などとウンチクを語ったりします。でも戦車に興味のない人にはどんな戦車が出て来ようが違いなど関係なく、戦車一般でしかないのです。
 一方僕はファッションに興味がないので、人の服装に全く目が行きません。でも興味のある人には、ちょっとしたコーディネイトの違いなどに目が行くのでしょう。
 どんな分野であれ、興味があるからこそ、その話題で人と盛り上がったり、情報を集めたりするからますます詳しくなって行きます。そしてより細かいところや深い部分に目が行くようになるのです。
 脚本を書く者は、「人間」に興味がなければなりません。いつも興味を持って人を観察して、それぞれの個性の違いに目が行ったり、「あの人はどうしてああなんだろう」と考えたりしていなくてはなりません。それは単なる好き嫌いとは違います。むしろ嫌いな人とか、相性の悪い人ほどよく観察する必要があります。
 興味を持って見ていると、人間は単純なものではないとわかります。例えば人には表と裏があります。本音と建前が違ったり、相手によって言うことを変えたりもします。また自分でも気づいていない無意識の言動もあります。そう言った複雑さを持った人間たちが関わり合うことで世の中に色々なことが起こるわけで,人を単独で見るだけでなく、関係性で捉える視点も必要です。
 もうひとつ大切なことは、自分にとって一番身近な人間は自分なのだから、一番簡単に観察できる対象は自分だということです。自分がどんな人生を生きて来たかということは詳しく知っているし、今どんなことを感じているかという頭の中身もわかります。自分はどんな人間で、何を感じ、何を考えているか、自分の個性はどんなものか、どうして自分はこういう人間になったのか、他の人と何が違うか。そういったことを考えることが重要です。
 また、これらのことに興味を持っていると、自然とそういうことが書かれた本が読みたくなるものです。僕の場合は、ユングの心理学に興味を持って色々な本を読んだことが、人間を理解する上で、さらには脚本を書く上で非常に役立っています。

 キャラクターを作るということが出来るようになるには、テクニックとかノウハウ的なことよりも、その前段階として普段から自分を含めた人間にどれほど興味を持って見ているか、どれほど考えているか。まずはそのことが大切なのです。
 そして、人間を知るということに関しては、これで十分というゴールはありません。おそらく一生勉強は続くのでしょう。

[尾崎将也 公式ブログ 2014年10月19日]

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