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noteで、尾崎将也の<全部入り>脚本講座をスタート

May 26, 2020

CATEGORY : 脚本

noteで尾崎将也の<全部入り>脚本講座をスタートしました。

有料コンテンツですが、「前書き」と第一章「脚本とは何か、ドラマとは何か」はお試しということで無料です。

まずは前書きからお読みください。

当ブログには、あちらには入らないようなことを書いて行きたいと思います。

刑事ドラマを物差しとして使う

Feb 18, 2020

CATEGORY : 脚本

 僕は教室で生徒にストーリーの問題点を指摘するとき、よく刑事ドラマを例に出します。例えば「これは刑事ドラマでいうと、事件が真ん中あたりでやっと起こるようなものだ」とか「これは刑事ドラマでいうと、途中で犯人が自首してしまうようなものだ」とか。刑事ドラマは誰でも見たことがあるし、決まったパターンがあるので、例として出しやすいのです。初心者は自分が脚本を書くときに刑事ドラマを「物差しとして使う」と便利です。

 刑事ドラマの一般的なパターンは次のようなものです。
①主人公の刑事がいる。
②ストーリーの初めの方で事件Aが起こる。
③主人公の刑事たちは事件解決を目差して捜査を開始する。
④捜査という「行動」をする。
⑤犯人は簡単に捕まらず、苦労する。
⑥ついに事件Aの犯人を逮捕して結末を迎える。
などです。

 それぞれの意味を説明すると、
①ドラマにはそれぞれ決まった主人公がいます。刑事ドラマでも当然主人公の刑事がいます。(複数の刑事の群像劇のような例外はあるかもしれません)
②ドラマには初めの方で「この話はこういうことをやります」という提示があります。刑事ドラマでは事件発生がそれに当たります。事件がなかなか発生せずに刑事の日常描写がダラダラと続くなどということはありません。
③ドラマでは主人公が何をやるかという目標や欲求が初めの方で設定されます。刑事ドラマでは「犯人を逮捕して事件を解決すること」です。
④ドラマは主人公が行動することで展開して行きます。刑事ドラマでは捜査がそれに当たります。刑事が「犯人の手がかりがない。どうしたらいいんだろう」と延々と悩むだけということはありません。一時的に悩むことはあっても、すぐに次の行動を見つけます。
⑤ドラマには「葛藤」が必要です。簡単にいうと「主人公が困る」ということです。刑事ドラマでは犯人が逃げている、または犯人が誰かわからないということで刑事は困っており、それを解決するために苦心します。犯人が簡単に捕まっては面白くありません。
⑥ドラマでは主人公は最初の方で設定された目標を最後に達成します。つまり一貫した軸があるということです。刑事ドラマでは最初に起こった事件Aを捜査し、その事件の犯人を捕まえるということです。事件Aが途中でうやむやになり、別の事件の話になるなどということはありません。

 よほど変則的なものを除いては刑事ドラマはこれらの条件を満たしています。そしてこれらの条件は、一般の人間ドラマでも同じことです。しかし一般の人間ドラマは刑事ドラマのように必ずしも決まったパターンを当てはめられるわけではないので、初心者はこれらの条件を満たしているかどうか忘れがちになるのです。そのため「刑事ドラマに例えると変」なことがしばしば起こります。
 具体的には「事件がなかなか起こらない」「簡単に犯人が捕まってしまう」「刑事がなかなか捜査しない」「最初の事件と最後に解決した事件が違う」などです。

 ということは、これらの問題を解決するために刑事ドラマを物差しとして活用すればいいのです。「事件発生に相当することがちゃんと初めの方で起こっているか?」「刑事が捜査するように主人公が行動しているか?」というようなことです。

 注意すべきなのは、刑事ドラマにおけるメインの葛藤は「犯人が誰かわからない、または犯人が逃げている状況」との葛藤で、いわば「人対環境の葛藤」です。それに対して一般の人間ドラマはほとんどの場合、人対人の葛藤がメインになります。また一般の人間ドラマでは、結末が犯人逮捕のようなデジタルでわかりやすい解決を取らない場合もありえます。というように全く同じとは行かない場合もあるということも認識が必要です。

 それでもやはり刑事ドラマを尺度として使うのは初心者には有効だと思います。刑事ドラマの他にもヒーローものやスポ根ものなどはパターンが決まっていることが多く、同様に物差しとして使うことが出来ます。だから自分がこれらのジャンルの作品を書くつもりがないとしても、これらのジャンルを分析してパターンを知ることには意味があるのです。

[尾崎将也 公式ブログ 2020年2月18日]

僕がやっていて他の人がやっていないかもしれないこと

Jan 02, 2020

CATEGORY : 脚本

 今回は、僕が脚本を書くときにやっていることで、他の人はあまりやっていないかもしれないことを書いてみます。普段自分が当たり前のようにやっていることでも、他の人には「そんなことがあるのか」「自分もやってみよう」みたいなことがあるかもしれません。

①原稿にセルフ突っ込みをどんどん書き込む
 脚本を書いていて、セリフ、ストーリー展開、人物描写などで、「ちょっといまいちかな」と思って考え直すということは当然あります。しかしよりベターなことがその場ではすぐに思いつかないこともあります。そのときは僕は原稿のその場にセルフ突っ込みをどんどん書き入れます。「このセリフいまいち」「ここ不自然」「こういうパターンもあるのでは」みたいに思ったことをどんどん言葉にして書いてしまうのです。そのとき他のセリフやト書きとごっちゃにならないように、行頭に★印を入れます。そしてそのまま作業を先に進めるのです。
 もちろんその場で解決法を思いつけばそれでいいのです。しかしそこで考え込んで時間を費やすより、先に進んだ方がいいと思える場合もあります。解決を思いつくまで粘るか、先に進むかはその都度判断するわけですが、僕はそう難しく考えずに先に進む方を選びます。
 いずれにしても、どこかの段階でこれらの突っ込みに対する解決法を思いついて、そこを直して★印をを消して行きます。エンドマークまで原稿が進んで、なおかつ途中に★印がひとつもない状態になれば原稿が完成ということです。

②途中で何度も印刷する
 ほとんどの人が原稿をパソコン入力していると思います。入力しながらセリフやト書きを考え、書き込みながら先に進みます。そして途中で前に戻って読み返し、考え直すということもあるでしょう。僕は原稿が完成していない段階で、パソコン画面で読むだけでなく、紙に印刷して読むということを何度もやります。パソコン画面で読むのと紙で読むのと、読んでいる文字は同じなのですが、パソコン画面で見ているときに思いつかないことを紙で見たときに思いつくということがよくあります(誤字脱字に関しても同じ)。なぜそういうことが起るのかはよくわかりません。
 このときに、赤で直しをどんどん紙に書き込んで行きます。上に書いた★印の部分に対する解決法もここで思いつくことが多いです。そして赤を入れたものを元に、再びパソコン入力する作業に戻ります。これを何度か繰り返して、原稿の完成に向かうのです。

③流れを紙に書く
 原稿の途中段階で、ここまで書いた流れを箇条書きで書きます。「書いたところまでの箱書き」です。もし脚本を書く前に箱書きを書いており、その箱書き通りに脚本を書いているならこの作業は必要ないでしょう。でも僕は箱書きを書かず、プロットを書くと次に脚本に進むので、出来たところまでの流れを確認するためにこの作業をするのです。
 この作業をすると、原稿を読み返すだけでは思いつかない問題やその解決法を思いついたりします。このシーンはいらないとか、ここにこういうシーンを挿入しようと思ったりします。またこれから先の展開を思いつく場合もあります。これらは赤で書き込みます。僕の中では直しや「未確定なこと」を赤で書くのがルールです。

④プロットを脚本フォーマットに貼り付ける
 プロットができて脚本に進むことになると、僕はプロットの文章を脚本のフォーマットにコピペします。そしてそこにあるプロットの文章に対して、ト書きやセリフに置き換える作業をして行くのです。これの利点は、今どこまで脚本作業が進んでいるかわかりやすいのと、最終的にどれくらいの枚数になるかを感覚的につかみやすいということです。
 生徒の場合、プロットで「そして二人の心が通じ合って行く」などと「そこを膨らませなきゃいけないところだろう」というところを一行で済ましてしまうことがよくあります。このやり方をすれば、「そして二人の心が通じ合って行く」という一文を目の前にして、「えっ、これをどうやって脚本にするんだ?」とプロットの問題点にも気づきやすくなるかもしれません。

 脚本を書く作業は決まったお作法はなく、自分にとってやりやすい、効果的な方法を選んで行けばいいのです。以上に書いたことは、僕がたくさん仕事をする中で自然と考案したものです。ずっとやっているということは、自分にとっては効果的ということでしょう。

[尾崎将也 公式ブログ 2020年1月2日]

「身近な題材」の落とし穴

Dec 29, 2019

CATEGORY : 脚本

 僕は教室の生徒には「習作を書くときは題材には身近なものを選ぶ方がよい」と言っています。初心者は何か書こうとしたとき、ほとんど考えなしに、たまたま目についたり思いついたりした題材を選ぶことが多いです。しかしその後には「よく知りもしない事柄を書こうとしても書けない」という当然のハードルにぶち当たります。
 初心者が脚本を書くのは、まずは「脚本とはどんなものか?」「脚本とはどうやって書くのか?」を学ぶことが目的です。よく知らない題材を選ぶと、その題材について調べたり勉強したりする手間が必要になります。選んだ題材について調べること自体悪いことではないし、プロの脚本家はいつもそれをやっています。しかし初心者は脚本の基礎を学ぶのが当面の目標なので、難しい題材について勉強するのに手間と時間を取られるのは得策ではないのです。

 「身近な題材を」と言ったとき、「自分の身近にドラマになるようなことはない」と思う人が多いようです。しかしよく考えればドラマになることはいくらでもあります。これは「今ある現実がそのままでドラマになる」ということではなく、今ある現実の中にこんな要素を加えるとドラマになるのでは?というようなことです。例えばある男性の会社に女性の上司が来たという現実があったとして、実際にはその人との間に男女関係は何もないとしても、もし自分が女性上司を好きになったらどうなるか?という話を考えてみるとか。妄想するのは自由なので、そういうところに想像の羽を伸ばせばいくらでも物語は作れるはずです。

 一方、身近な題材を選んだとして、ひとつ大きな落とし穴があります。例えばある人が現実に母親との間に問題を抱えているとして、そのことをドラマに書こうと思ったとします。まさに「身近」な題材です。しかしこういう場合、作者本人が母親との問題をまだ解決できていないのにドラマの中で主人公に同じ問題を解決させられるのか、という障害に直面します。物語の中で問題を解決をさせたとしても、リアリティのない絵空事のようになったり、生ぬるいご都合主義になったりする危険性が高いのです。現実に自分がどうしていいか答えが見つかっていないのに主人公が都合良く解決を見つけられるとは思えません。
 こうなると、せっかく身近な題材で、しかも「これを書きたい」と強く思える題材を選んだのに行き詰まってしまうということになります。

 しかしここまで考えたとき、「自分は普段どうやってドラマを書いてるんだっけ?」と不思議な気持ちになりました。シリアスな作品の場合は、主人公はかなり過酷な状態に追い込まれ犠牲を払ってそれを乗り越えるような物語を考えないと観客を楽しませたり感動させたりする作品にはなりません。しかし自分が実人生の中でそんなに過酷な問題に直面して、それを乗り越えた経験があるかというと、そんなことはないのです。例えば『僕が笑うと』というドラマでは主人公は戦争が激化する中でどっやって生き延び家族を守るかという問題と闘います。しかし僕には子供はいませんし戦争の経験もありません。

 ではなせそういうドラマが書けたのか? ドラマというのは作者の脳から出てくるもので、その源泉は脳の中にあります。何かが書けたということは、自分の脳の中にそれがあったということです。
 自分の脳の中になぜ色々なドラマの元になるものがあったのかと考えると、それはやはり映画、テレビドラマ、本などからインプットしたもの以外にはありえません。もちろん実際の経験から得たものもあるでしょうが、僕に限って言えば、実際の経験など微々たるもので、映画や本から得たものに質と量ではるかに及びません。
 
 さっき「もし女性上司を好きになったら」という例を書きましたが、現実に経験していなくてもそういう物語を創造出来るということは、やはり映画や本からインプットしたものがあるからでしょう。自分が乗り越えたことのない問題をドラマの主人公に乗り越えさせることができるのも、経験がなくても脳の中にはそれが書ける元になる「何か」があるということです。
 結論としては、題材が身近なものだろうが全然経験のないことだろうが、脳の中にドラマの元になるものがあるならそれでいいということになります。そして、「ない」のなら「ある」状態にしないといけないということです。

 人間には色々なタイプがあって、人生経験が豊富でそれが創作の源泉になる人もいるでしょうが、人間が実際に経験出来ることの総量には限界があり、やはり脚本を学ぶ人の目標設定としては「たくさん人生経験をするぞ」というよりは「たくさん映画を見たり本を読んだるするぞ」という方が取り組みやすいのではないかと思います。

[尾崎将也 公式ブログ 2019年12月29日]

脚本を書くために「インプット」しなければいけないこと

Oct 25, 2019

CATEGORY : 脚本

 先日、Twitterで下記のようなつぶやきをしました。

「脚本の教室の生徒がなかなか成果が上がらない原因は、ほとんどの場合、アウトプットすることを焦ってインプットに時間と手間を割かないことです。アウトプットはインプットしたことからしか生まれないというこの世の基本原則を受け入れるしかありません。」

 それを見た人から「何をインプットすればいいんですか?」という質問が来ましたので、そのことについて書きます。

 以下、脚本の勉強としてインプットすべきことを列挙します。

①いい映画をたくさん見る。
 見るべきものは、映画の他にも、テレビドラマ、演劇、落語など色々あるでしょうが、脚本の勉強には名作映画を見て分析するのが一番効率がいいと僕は思います。なのでここでは代表して「いい映画」と書いています。

②見た映画を分析して、どんな話か、どんな構造か把握し、面白くするためにどんなテクニックが使われているかを抽出する。
 分析の方法は拙著『3年でプロになれる脚本術』に詳しく書きましたのでそちらを読んでください。

③本をたくさん読む。
 小説を読むことは①に準ずることです。小説以外にもノンフィクション、エッセイ、専門書などを読むことも大切です。これらを読むことで、知識や客観的思考力を身につけるだけでなく、下記の⑤、⑥、⑦に相当することを居ながらにして凝縮した形でインプットできます。

④作品を書いて、専門家の意見を聞き、直す。
 作品を書くことはアウトプットですが、人の意見を聞いて直すというフィードバックの作業は大切なインプットです。

⑤色々な経験をする。
⑥見聞を広める。
⑦人間観察をする。
 ⑤、⑥、⑦は実生活の中で行うことですが、色々な経験をしろと言われても、「今年は恋愛をしよう」などと計画的にできるものではありません。また不幸な経験が大きな糧になることはありますが、わざとそんな経験をするのはナンセンスです。それに対して見聞を広めたり人間観察をするのは意識的にできることです。

⑧考える。
 インプットしたことに頭の中で考察を加えて、深めたり、意味づけしたり、体系化したりすることは非常に重要な作業です。

 ざっとこんなところでしょうか。非常に多岐にわたり、時間と手間を必要とするものです。限られた時間の中で、作品を書きながら、映画を見て本を読んで、さらには外に出て色々な経験をしろなんて、あまりにやることが多すぎる感じです。しかし脚本を書く力を身につけるには必要なことばかりです。これらが元になって作品が生まれるのです。ひとつ耳寄りな情報があるとすれば、色々な経験をすることは、映画をたくさん見たり本をたくさん読んだりすることである程度代替できるということです。僕は人生経験が豊富と言える人間ではなく、生徒のときには「こんなに人生経験が少ない状態で脚本家になれるだろうか?」と不安に感じていました。しかし結果としてはなれたので、映画や本で補ったのだと思います。

[尾崎将也 公式ブログ 2019年10月25日]

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