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「身近な題材」の落とし穴

Dec 29, 2019

CATEGORY : 脚本

 僕は教室の生徒には「習作を書くときは題材には身近なものを選ぶ方がよい」と言っています。初心者は何か書こうとしたとき、ほとんど考えなしに、たまたま目についたり思いついたりした題材を選ぶことが多いです。しかしその後には「よく知りもしない事柄を書こうとしても書けない」という当然のハードルにぶち当たります。
 初心者が脚本を書くのは、まずは「脚本とはどんなものか?」「脚本とはどうやって書くのか?」を学ぶことが目的です。よく知らない題材を選ぶと、その題材について調べたり勉強したりする手間が必要になります。選んだ題材について調べること自体悪いことではないし、プロの脚本家はいつもそれをやっています。しかし初心者は脚本の基礎を学ぶのが当面の目標なので、難しい題材について勉強するのに手間と時間を取られるのは得策ではないのです。

 「身近な題材を」と言ったとき、「自分の身近にドラマになるようなことはない」と思う人が多いようです。しかしよく考えればドラマになることはいくらでもあります。これは「今ある現実がそのままでドラマになる」ということではなく、今ある現実の中にこんな要素を加えるとドラマになるのでは?というようなことです。例えばある男性の会社に女性の上司が来たという現実があったとして、実際にはその人との間に男女関係は何もないとしても、もし自分が女性上司を好きになったらどうなるか?という話を考えてみるとか。妄想するのは自由なので、そういうところに想像の羽を伸ばせばいくらでも物語は作れるはずです。

 一方、身近な題材を選んだとして、ひとつ大きな落とし穴があります。例えばある人が現実に母親との間に問題を抱えているとして、そのことをドラマに書こうと思ったとします。まさに「身近」な題材です。しかしこういう場合、作者本人が母親との問題をまだ解決できていないのにドラマの中で主人公に同じ問題を解決させられるのか、という障害に直面します。物語の中で問題を解決をさせたとしても、リアリティのない絵空事のようになったり、生ぬるいご都合主義になったりする危険性が高いのです。現実に自分がどうしていいか答えが見つかっていないのに主人公が都合良く解決を見つけられるとは思えません。
 こうなると、せっかく身近な題材で、しかも「これを書きたい」と強く思える題材を選んだのに行き詰まってしまうということになります。

 しかしここまで考えたとき、「自分は普段どうやってドラマを書いてるんだっけ?」と不思議な気持ちになりました。シリアスな作品の場合は、主人公はかなり過酷な状態に追い込まれ犠牲を払ってそれを乗り越えるような物語を考えないと観客を楽しませたり感動させたりする作品にはなりません。しかし自分が実人生の中でそんなに過酷な問題に直面して、それを乗り越えた経験があるかというと、そんなことはないのです。例えば『僕が笑うと』というドラマでは主人公は戦争が激化する中でどっやって生き延び家族を守るかという問題と闘います。しかし僕には子供はいませんし戦争の経験もありません。

 ではなせそういうドラマが書けたのか? ドラマというのは作者の脳から出てくるもので、その源泉は脳の中にあります。何かが書けたということは、自分の脳の中にそれがあったということです。
 自分の脳の中になぜ色々なドラマの元になるものがあったのかと考えると、それはやはり映画、テレビドラマ、本などからインプットしたもの以外にはありえません。もちろん実際の経験から得たものもあるでしょうが、僕に限って言えば、実際の経験など微々たるもので、映画や本から得たものに質と量ではるかに及びません。
 
 さっき「もし女性上司を好きになったら」という例を書きましたが、現実に経験していなくてもそういう物語を創造出来るということは、やはり映画や本からインプットしたものがあるからでしょう。自分が乗り越えたことのない問題をドラマの主人公に乗り越えさせることができるのも、経験がなくても脳の中にはそれが書ける元になる「何か」があるということです。
 結論としては、題材が身近なものだろうが全然経験のないことだろうが、脳の中にドラマの元になるものがあるならそれでいいということになります。そして、「ない」のなら「ある」状態にしないといけないということです。

 人間には色々なタイプがあって、人生経験が豊富でそれが創作の源泉になる人もいるでしょうが、人間が実際に経験出来ることの総量には限界があり、やはり脚本を学ぶ人の目標設定としては「たくさん人生経験をするぞ」というよりは「たくさん映画を見たり本を読んだるするぞ」という方が取り組みやすいのではないかと思います。

[尾崎将也 公式ブログ 2019年12月29日]

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