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企画書にもいろいろ

Oct 22, 2013

CATEGORY : 脚本

「企画書」についていくつか質問があったので、そのことについて書きます。

企画書の要素は「企画意図」「主な登場人物の設定」「ストーリー」です。ストーリーは連ドラの場合、第一話のストーリーにプラスして「二話以降は大体こんな流れ」みたいなものをつけます。別に決まった形式があるわけではありません。というか企画書って外に出るものではないので、他の人が書いた企画書を見たことがほとんどないのです。「その企画書の書き方は違う」とプロデューサーに言われたことはないので、たぶんこれでいいんでしょう。

脚本家としてのステイタスというか地位?が上がると、「企画書を出して、その企画が通ったら仕事になる」というタイプの仕事は少なくなって行きます。その代わり「こういうドラマをやるので脚本を書いてください」とか「来年の何月クールの連ドラを書いてください。主演は誰それが決まっています」というふうに企画書を飛ばしていきなり脚本執筆の注文になります。そういう場合でも企画書は書きます。しかしそれは企画自体を通すためではありません。では何のために書くのかというと、まず第一にはプロデューサーとの間でどんな内容のドラマにするか検討するためです。ただこのときは「打ち合わせのたたき台」になればいいので、形式には縛られません。メモ程度のものでもいいのです。その段階が終わって内容が固まると、その時点でちゃんとした企画書の形にします。これは主にキャスティングのために使います。すでに押さえてある主演俳優に「これでいいですか」と見せるのと、主演以外の俳優に出演依頼するときに見せるのに使います。(このへんの企画作りの話は、以前こちらにも書いています)

昔、まだプロになるかならないかという頃は、「企画書を提出して、通れば実現」という企画書をよく書かされたものです。企画が通ったら脚本を書かせてもらえるかも、と思って必死でした。しかしそういう企画書が通ったという記憶は全くありません。あと問題なのは、企画書のギャラが貰えたり貰えなかったりすることです。特に制作会社は企画が通らないと何の利益も発生しないので、出来れば払いたくないのです。「あのギャラはどうなったのかな」と思っても新人は立場的に弱いので請求もしにくく、結局もらえないままということが何度もありました。この業界、そういうセコイ人はけっこういるものです。ただし、そういうプロデューサーは大成しません。
新人は「この企画が通れば......」と期待するのは当然ですが、「どうせダメ元。通れば儲けもの」というくらいに思っていた方がいいでしょう。それよりは企画書を書くこと自体が勉強だと思って取り組むのが建設的だと思います。

新人の人や脚本家志望の人が聞きたいのは、「通るか通らないかわからない企画書ばかり書いている状態」から「企画書を飛ばしていきなり脚本の仕事が来る状態」にはどうやったら行けるのか、ということかも知れません。自分の場合どうやって来たんだっけと考えてみると、「こうやって」と一言で言えるようなことでもないようです。「何かをクリアしたら、いきなりそうなる」ということではないのです。これは企画書とはまた別の話題なので、何か思いついたらまた書いてみます。

〔尾崎将也 公式ブログ 2013年10月22日〕

取材の話、いろいろ

Oct 21, 2013

CATEGORY : 脚本

前回に続いて取材の話。今回は過去の作品でこんな取材をしたという実例を書いてみます。

「アットホーム・ダッド」
これはかなりたくさん取材した作品です。まず当然ながら専業主夫の人たち。ブログをやっている人(確か三人くらい)にプロデューサーから連絡を取ってもらい、取材させてもらいました。あとは普通の(というか女性の)主婦にも何人かに話を聞きました。それから幼稚園の先生たちにも。撮影で使わせてもらった幼稚園に見学と先生取材もお願いしました。余談ですが、このドラマが放送された後、「男女共同参画社会を考える」というテーマのシンポジウムに参加を依頼されました(丁重にお断りしました)。そういう高尚なことを考えて書いたドラマではないのですが、ちゃんと取材した成果かな、と思いました。

「踊る大捜査線・番外編~湾岸署婦警物語」
フジテレビの近くの水上署の交通課の婦警の人たちに話を聞きました。フジテレビの前まで船でやって来たのを見てびっくりしたのを覚えています。殺人事件などが起こって署に捜査本部が立ったときは、買い出しをして食事を作るという話を聞いてエピソードとして入れました。このとき「制服で集団で買い出しに行くと何事かと思われるので私服に着替えて行く」というのを聞いて、ドラマではあえて制服姿で行く描写にしました。取材した上で、事実を加工したという例です。

「結婚できない男」
主人公の職業を建築家と決めてから、建築家の人に取材させてもらいました。主人公に関する取材はこれだけです。このドラマの場合、以前にも書いたのですが、女性たちの話をけっこう聞きました。この取材が主人公を取り巻く女性たちの描写に生かされています。

「特命係長・只野仁」
何も取材していません。

「梅ちゃん先生」
これは何しろ昔の話なので取材しないと何も書けません。主人公の梅子と同年代の女医さん(今でも現役の方が何人もいる)に話を聞きました。その中で昭和21年に医専(医学専門学校)が廃止され医大になったので、医専の最後の学年は落第すると後がなくなったという話を面白いと思い、梅子をその年の入学に決めました。あと医薬品を旧海軍の施設に取りに行った話とか、しょっちゅう停電した話などドラマで描かれたエピソードのかなりの部分が取材で得た話です。

以上は「この作品にはこういう取材が必要」ということで行った取材ですが、それ以外にも特に何のためにということではなく、普段からやっているネタ集めというものも一応あります。以前は「ネタ集めをしていますか?」と聞かれると「特にしません」と答えていたのですが、Evernoteが登場してから、それらしきことをするようになりました。Evernoteのいいところは、ネットの記事だろうが自分のメモだろうが写真だろうが何でも放り込んでおけて、検索機能で後から取り出せるというところです。クラウドなのでパソコンでもスマホでも利用出来ます。これが出来る前は、ネタ集めをしたところでどうせメモが散逸したり、形式がバラバラで整理がつかなかったりするので、やっても無駄だと思っていたのですが、これを使えば後で活用するかどうかは別として、気軽にストックしておくことが出来ます。

〔尾崎将也 公式ブログ 2013年10月21日〕

取材ってけっこう楽しいかも

Oct 17, 2013

CATEGORY : 脚本

「脚本家はどのように取材をしているのか?」という質問が何人かの人からあったので、それについて書いてみます。

脚本家にとっての取材は、おおまかに言って四つの段階があります。①脚本を書く前にそのドラマで扱う事柄の専門家に会って話を聞く。②その題材に関係する場所に行って見学させてもらう。③脚本を書いている途中でわからないことがあったら、専門家にメールや電話で聞く。④脚本が出来てから専門家にチェックしてもらう。
例えば弁護士ドラマを書くなら、①は弁護士の人に取材するということ、②は裁判を傍聴しに行くということになります。③や④は、①で話を聞いた人に引続き担当してもらう場合が多いです。もちろん別の人にお願いすることもあります。
話を聞かせてくれる専門家を探すのはプロデューサーの仕事になります。「このドラマを書くにはこういう専門家に話を聞くことが必要だ」となれば、プロデューサーが取材相手を見つけて段取りをしてくれるのです。②に関しても、その場所が許可がないと入れないような場所なら、プロデューサーが交渉してくれます(裁判の傍聴は誰でも自由に出来ます)。
なので脚本家は「これこれが必要」とさえ言えば段取りしてもらえるので楽です。あとはその場に行って取材するだけです。ほとんどの場合、プロデューサーも同行します。僕は人見知りするタチなので取材に行くときは緊張しますが、必ずと言っていいほど相手の人はとても好意的に話してくれます。取材をOKする時点で話すつもりになっているし、人は自分のことを聞かれて話すのは楽しいものだからでしょう。予定時間を超過して「まだこんな話もあるんだけど」となかなか話が終わらないことも多いです。
実地に人と会ったり場所を見たりする以外には、当然本を読んだりネットで調べたりすることもあります。これは自分で本を探して買う場合もあればプロデューサーが用意してくれる場合もあります。
以上のように、プロの脚本家はよほど難しい題材でもない限りは、取材に苦労するということはほとんどありません。その点、アマチュアの人は難しいことももあるでしょう。個人の立場で知らない人にアポを取って取材に行くなどということはなかなか出来るものではありません(もちろん出来る人はやればいいのですが)。なので僕は教室の生徒には、「取材をしろ」とは言いません。むしろ取材が必要のない、自分がよく知っている題材で書けと言っています。それは取材の難しさだけが理由ではありません。そもそも取材が必要になるような作品を書くことが生徒にとっていいことなのか?という疑問があるのです。ある題材を必死に取材したりたくさんの資料を読んだりして、ものすごくその題材に詳しくなったとします。しかしその時点では脚本の勉強はまだ何もしていません。ただ、その題材に詳しくなっただけです。生徒がやることは脚本の勉強なのであって、他のことに時間を取られることはむしろ避けるべきではないかと思うのです。もちろんこれも程度問題で、知り合いでそのことに詳しい人がいたら話を聞かせてもらうとか、関連する本を何冊か読むとかいうことは全然悪いとは思いません。

次回はこのドラマではこんな取材をしたとか、具体的なエピソードを書いてみたいと思います。

※脚本や、脚本の勉強に関する質問はいつでも受け付けていますので、ツイッターの方にお願いします。

(尾崎将也 公式ブログ 2013年10月17日)

ストーリーってなんだっけ

Aug 27, 2013

CATEGORY : 脚本

教室で初心者に脚本を教えるときに苦労することのひとつが、「ストーリーとは何か」を説明することです。プロの脚本家は「面白いストーリーを作ること」には日々苦労していますが、「何でもいいから考えて」と言われれば、いくらでもストーリーを作り出すことが出来ます。ほとんど無意識にやっていることなので、いざ「ストーリーとは何か、どうやって作るのか」を説明しようとすると、「そう言えば何だっけ」とハタと困ってしまうのです。これは、自転車に乗れる人が乗れない人にどうすれば自転車に乗れるかを説明するのが難しいのに似ています。
またストーリーというものは、似て非なるものを作るのは割と簡単に出来ます。それは「因果関係のある出来事が時系列に並んでいる」状態です。この状態のものを書いてストーリーが出来たと思っている脚本の初心者に、ストーリーとは何かを説明するのはかなり骨の折れる作業です。
ドラマのストーリーの条件を改めて考えてみると、「一本の軸がある」「主人公が行動する」「主人公に目的がある」「対立・葛藤がある」などがあります。しかし「(例A)主人公が大事な仕事の前に風邪をひいてしまったが、周囲の反対を押し切って無理をして仕事をして、何とか仕事をやりとげ、そのあとで病院に行く」という出来事の流れは、上のストーリーの条件をクリアしていますが、これをストーリーとは呼べないでしょう。これではまだ出来事が並んでいるだけです。
では例Aをどう加工すれば、ストーリーになるのでしょうか。例えば「主人公は無理をして仕事したために倒れてしまう。高嶺の花だと思っていた社長秘書が看病してくれる」とか、「主人公は他の人に風邪をうつしてはいけないと思い、資料室で一人で仕事する。するとそこで何か意外なものを見つける」とか。こういうことを加えると、何かストーリーっぽくなって行きそうな感じがします(どれほど面白いかは別の話)。つまり何らかの「それからどうなるの?」と思わせるような事柄が必要ということでしょうか。
しかしここまで考えて、小津安二郎の「晩春」はどうなんだ?と思いが頭をもたげました。この映画は「父と娘が二人暮らしをしている。父は娘に結婚して欲しいと思っているが、娘はなかなか結婚しようとしない」というところから始まりますが「これからどうなるの?」と思わせるような出来事はなかなか起こりません。それがなくても面白く見ることが出来るのです。だとすると「これからどうなるの?」と思わせることは、ストーリーにとって十分条件であって必要条件ではないということになります。
ではストーリーがストーリーである最大の条件とは一体何なのか。色々と考えるうちに気づいたのが、「エモーション」です。例えば「娘を殺された父親が、復讐するために犯人を捜し始める」という発端のストーリーがあったとします。このあと父親が犯人を追い詰めていく過程が描かれ、最後には果たして復讐するのか否かということになって行くのでしょうが、この例は上に書いたいくつかの条件を満たしていると同時に、父親の復讐心という強いエモーションがあります。「晩春」にしても、「娘が結婚したら自分は寂しくなるが、それでも結婚して幸せになって欲しい」と思う父親の静かなエモーションが作品を貫いています。やはりストーリーがストーリーである最大の条件は「全体を貫く主人公のエモーション」ということか・・・いや、ちょっと待てよ・・・上の「例A」の場合も「仕事をやりとげたい」という主人公のエモーションはあるじゃないか・・・おそらく例Aの場合は、「仕事をするということ自体は風邪をひいていようがいまいが変わらない」という点が問題なのでしょう。つまり、これがストーリーになって行くためには、風邪をひいてもあくまで仕事をするという主人公のエモーションが、普通とは違う状況を生み出して行く必要があるということでしょうか。
ということで、ここでの仮の結論は「ストーリーがストーリーであるためには、主人公の一貫したエモーションが新しい状況や展開を生み出して行くことが必要」ということに一旦しておきたいと思います。しかしこの条件を満たしていないのにちゃんとストーリーになっている作品があるということに気づくかも知れないので、あくまで仮ということで。

〔尾崎将也 公式ブログ 2013年8月27日〕

コンクールの審査員をしていて思うこと

Jul 27, 2013

CATEGORY : 脚本

前回は自分のコンクール体験について書きました。今回はプロとしてコンクールの審査員をしていて思うことをいつくか書きます。

脚本のコンクールでよく問題になるのが「映像化不可能な題材はいいのか悪いのか」ということです。例えば、あるコンクールでスタントマンが主人公の作品が最終審査に残っていたことがありました。それをドラマ化するにはスタントシーンを映像化しなくてはいけなくなり、現実的には無理なことです。僕は「入選作はドラマ化する」ということが前提になっているコンクールに、映像化が不可能な作品を応募するのは、いかがなものかと思います。「この作品は映像化が難しいから、このコンクールには向かないだろう」というくらいの判断が出来るような人でないと、脚本家には向きません。ましてその作品が映像化が可能かどうか考えたことすらなかったとしたら問題外です。審査員に「この人はそのへんどう考えて応募してるんだろう」と疑問を持たれるだけでも損です。ただ、昔は映像化不可能だったことが、最近はCGで割と簡単に出来るようになっているのも事実で、何が可能で何が不可能かはいちがいには言えません。

最終審査をしていると、「なぜかよく見る題材」があります。例えば子供を主人公にしたものの割合はかなり高いように思います。また人生に迷った若者が故郷に帰る話もよく見ます。子供を描くのは、大人の複雑な心情や背景を描くより取り組みやすいと感じるからでしょう。故郷に帰る話が多いのは、「自分の心情に沿った題材を探したら、そうなった」という人が多いということではないでしょうか。あと、田舎を舞台にしたものも意外と多いです。自分の故郷を舞台すると特色が出しやすいと思うからでしょうか。こういう題材がダメと決めつけることは出来ませんが、審査する側が「またか」と思ってしまうのも事実です。自分が考えるようなことは他のみんなも考える可能性が高いということは念頭に置いた方がいいでしょう。

昔に比べると、「目茶苦茶で脚本の体をなしていないけど、なぜか面白い」というタイプの作品はめっきり見なくなりました。代わりに「それなりにまとまってるんだけど、いまひとつ弾けてない」という作品が増えました。教室で学ぶ人が増えて、ごく基礎的なことは身につけている人がほとんどだということでしょうか。だからといって目茶苦茶な作品を書けというもの変ですが。

内容と関係ない話ですが、誤字脱字があるのは問題外として、書式も読みやすいに越したことはありません。以前は、書式設定という機能があること自体を知らないのではないかというような原稿がありましたが、最近はそこまでひどいのはなくなりました。それでも読みにくい原稿はあります。多くの場合、「字間を空け過ぎ」が原因です。用紙に20字×20行で文字を配置すると、行間より字間の方が空け過ぎになりやすいようです。意識して字間を詰め気味にした方がいいでしょう。また行の下よりは上の方に多く余白を作る方が見やすいです。書体は普通の明朝かゴシックで。雰囲気を出そうと筆文字みたいな書体を使っても読みにくいだけです。

〔尾崎将也公式ブログ 2013年7月27日〕

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