コンクールの審査員をしていて思うこと
前回は自分のコンクール体験について書きました。今回はプロとしてコンクールの審査員をしていて思うことをいつくか書きます。
脚本のコンクールでよく問題になるのが「映像化不可能な題材はいいのか悪いのか」ということです。例えば、あるコンクールでスタントマンが主人公の作品が最終審査に残っていたことがありました。それをドラマ化するにはスタントシーンを映像化しなくてはいけなくなり、現実的には無理なことです。僕は「入選作はドラマ化する」ということが前提になっているコンクールに、映像化が不可能な作品を応募するのは、いかがなものかと思います。「この作品は映像化が難しいから、このコンクールには向かないだろう」というくらいの判断が出来るような人でないと、脚本家には向きません。ましてその作品が映像化が可能かどうか考えたことすらなかったとしたら問題外です。審査員に「この人はそのへんどう考えて応募してるんだろう」と疑問を持たれるだけでも損です。ただ、昔は映像化不可能だったことが、最近はCGで割と簡単に出来るようになっているのも事実で、何が可能で何が不可能かはいちがいには言えません。
最終審査をしていると、「なぜかよく見る題材」があります。例えば子供を主人公にしたものの割合はかなり高いように思います。また人生に迷った若者が故郷に帰る話もよく見ます。子供を描くのは、大人の複雑な心情や背景を描くより取り組みやすいと感じるからでしょう。故郷に帰る話が多いのは、「自分の心情に沿った題材を探したら、そうなった」という人が多いということではないでしょうか。あと、田舎を舞台にしたものも意外と多いです。自分の故郷を舞台すると特色が出しやすいと思うからでしょうか。こういう題材がダメと決めつけることは出来ませんが、審査する側が「またか」と思ってしまうのも事実です。自分が考えるようなことは他のみんなも考える可能性が高いということは念頭に置いた方がいいでしょう。
昔に比べると、「目茶苦茶で脚本の体をなしていないけど、なぜか面白い」というタイプの作品はめっきり見なくなりました。代わりに「それなりにまとまってるんだけど、いまひとつ弾けてない」という作品が増えました。教室で学ぶ人が増えて、ごく基礎的なことは身につけている人がほとんどだということでしょうか。だからといって目茶苦茶な作品を書けというもの変ですが。
内容と関係ない話ですが、誤字脱字があるのは問題外として、書式も読みやすいに越したことはありません。以前は、書式設定という機能があること自体を知らないのではないかというような原稿がありましたが、最近はそこまでひどいのはなくなりました。それでも読みにくい原稿はあります。多くの場合、「字間を空け過ぎ」が原因です。用紙に20字×20行で文字を配置すると、行間より字間の方が空け過ぎになりやすいようです。意識して字間を詰め気味にした方がいいでしょう。また行の下よりは上の方に多く余白を作る方が見やすいです。書体は普通の明朝かゴシックで。雰囲気を出そうと筆文字みたいな書体を使っても読みにくいだけです。
〔尾崎将也公式ブログ 2013年7月27日〕