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交響曲のソナタ形式から構成を学んだ

Feb 21, 2013

CATEGORY : 脚本

僕は大学の頃、クラシック音楽にはまりました。きっかけはやはり映画で、キューブリックやヴィスコンティの作品に使われていた曲や、黒澤明監督が出たサントリーのCMに流れていたハイドンの「時計」なんかが入り口でした。
色々な曲を聞くうちに、やがて興味を引かれるようになったのは、交響曲の第一楽章の「ソナタ形式」です。ソナタ形式とは、ひとつの楽章が「提示部」「展開部」「再現部」「結尾部」に分かれた構成の形式のことです。当時すでに独学で脚本の勉強をしていたので、ドラマと同じ時間芸術である音楽から何かが学べるのではないかという気持ちもあったのでしょう。
僕は最初は、音楽がどうして構成というものに縛られるのかわかりませんでした。別に構成なんか無視して好き勝手に作ればいいじゃないかという気がしたのです。例えばベートーヴェンの「運命」のダダダダンという主題は「運命はかくのごとく扉を叩く」とベートーヴェン自身が言ったとされていますが(それは嘘だという説もありますが真偽はともかく)、この曲が運命が扉を叩いてそれからどうしたこうしたということを描いているわけではないのは確かです。ドラマの場合、出来事の順序というものがあるので、最低限構成というものがないと訳がわからなくなりますが、そのようなものがない音楽がどうして決まった構成を取るのか。そこに妙に探究心をかき立てられました。
そこで僕は色々な交響曲(主にベートーヴェンとブラームス)の楽譜を買って来て、解説を読み、その曲のどこまでが提示部でどこまでが展開部かというような分かれ目や、第一主題や第二主題の出てくる部分に印をつけて行き、そうやって印をつけた楽譜を目で追いながら何度も曲を聴きました。音符が読めなくても曲を聴きながら楽譜を目で追うことはできます。
その結果、「こういうことがわかった」と口で説明出来るようなことはありません。ただ、音楽に構成があることに対して納得感が生れました。ソナタ形式では大抵の場合、展開部から再現部に移るところに盛り上がりが来ます。ここで曲が盛り上がって来ると「さあ、作曲家の腕の見せどころだ」という「感じ」がするのです。曲の構成など知らずに聴いていても、その盛り上がりを感じることは出来ます。しかしそれが展開部から再現部に移るところだと知っていて聴くのとそうではないのでは大きな違いがあります。知った上で何度も曲を聴き込むことで、前に物語を把握するということについて書いたのと同じように、「曲を把握した」という感じがしてくるのです。
音楽は理屈ではなく純粋に感覚的なものです。ソナタ形式の構成を把握した上で曲を聴き込むことが、構成というものを理屈ではなく身体でつかむことにつながり、その後の脚本の勉強にとても役に立ったと思います。
でもまあ、こういうことは時間がたっぷりある学生時代だから出来たことかも知れません。

ちなみに「結婚できない男」で主人公の桑野が指揮をしながらクラシックを聴いていますが、あれは自分がやっていることをそのまま書いただけです。あと、このドラマの構成には実はベートーヴェンの第九からヒントを得たところがあります。その話はまたいずれしたいと思います。

「起承転結」とか「三幕」を考える前に

Feb 17, 2013

CATEGORY : 脚本

前々回に続いて構成の話です。

以前ツイッターでも書きましたが、教室の生徒に「起承転結はそれぞれ何枚ですか」と聞かれることがあります。しかし「その質問自体が違う」という感じがします。確かに完成した作品を起承転結に分けて数えればデータとして枚数は出て来るし、たくさんの作品を分析すれば起承転結の平均的な枚数を出すことも可能でしょう。でもそれにあまり意味があるとは思えないのです。
「起承転結はそれぞれ何枚ですか」という質問は、例えば「自転車に乗るとき、身体は何度傾け、体重はそれぞれの足に何%かけるんですか」と聞くのと同じような感じがします。自転車に乗っている人はそんなことは知りません。ただ前に進もうとして自転車をこいでいるだけです。機械で計測すれば身体の傾きとか重心の移動などはデータとして出て来るかも知れませんが、その数値を知ったから自転車に乗れるようになるわけではありません。つまり起承転結がそれぞれ何枚かというのは、結果に過ぎないのです。

プロの脚本家は、「起承転結は何枚ずつ」とか「三幕の分かれ目は何枚のところ」などと自分なりの基準を持っている人もいるでしょうが、それはデータありきということではなく、自分のやり方で書けば結果的にそのくらいの枚数になると肌でわかっているということではないかと思います。

では、どうすれば起承転結や三幕の構成が作れるようになるかというと、やはり前に書いたように面白い作品の流れを分析して把握して行くのが一番の早道ではないかと思います。それが「肌で知る」とか「身体で覚える」こと(意識せず自転車に乗れるような状態)につながって行くのです。

これは尾崎将也個人の考えですが、初心者は逆に起承転結や三幕をあまり考える必要はないのではないかと思います。起承転結であれ三幕であれ、物語に含まれる要素は「人物紹介」「物語の始まり」「展開」「盛り上がり」「クライマックス」「結末」です。これらの要素がきちんと含まれていてそれぞれが機能していれば、自然と面白いものになるはずです。
例えば「物語の始まり」は、当然ドラマが始まってかなり早い段階で起こるはずです。1時間の刑事ドラマ(正味45分)なら殺人事件は遅くとも5分か10分以内に起こります。20分たっても事件が起こらない刑事ドラマは普通はありません。しかし教室の生徒が書く作品では、半分近くたってもまだ物語が始まらないということがしばしば起こります。前半で事件が起こらず刑事の日常を描いているだけなのに「これが起承転結の起だ」などと思っても意味はないでしょう。

「人物紹介」と「物語の始まり」は、誰が主人公でどんな物語かを決めて、ちゃんと最初の方で人物が紹介され物語がスタートしているかをチェックすればいいでしょう。しかし「展開」「盛り上がり」「クライマックス」については、その意味を理解するのはそれなりに難しいことです。起承転結や三幕の構成を作れるようになるためには、まずこれらの意味を理解することが必要です。今後、これらについても書いて行くつもりです。

ドラマの主人公は成長しなくてはいけないのか

Feb 16, 2013

CATEGORY : 脚本

ツイッターのフォロワーの人から「ドラマの主人公は必ず変化・成長しなくてはいけないのでしょうか」という質問が来たので、それについて考えてみます。
結論から言うと、必ず変化・成長しなくてはいけないのかというと、そんなことはありません。1話完結のシリーズものなどは毎回事件が起こっては解決することの繰り返しで、主人公が特に変化して行くことはありません。刑事ドラマは大抵そうだし、僕が書いたものでは「特命係長・只野仁」などもそういうタイプの作品です。ただし、そういう作品を書くのはプロになってからのことで、これから脚本家を目指してコンクールに応募する作品を書く人は、主人公を変化・成長させた方がいいと思います。
なぜかというと、そうしなくてはいけないからではなく、そうした方が作品が書きやすいし面白い作品になりやすいからです。ドラマは、基本的に何かが変化する様子を描くものです。刑事ドラマは主人公は変化しなくても、事件が発生し、犯人が誰かわからない状態から捜査によって犯人が割り出されて逮捕されるまでを描きます。その出来事の移り変わりが視聴者の興味を引くものなので、主人公が変化しなくても成立しているのです。
しかしシリーズものではないオリジナルの1話完結のドラマを、主人公を変化させずに出来事の面白さだけで描いて行くのは、不可能ではないにしてもむしろ難しいことではないかと思います。
ドラマを見る人は、そこに描かれている問題に無意識に着目します。刑事ドラマなら殺人事件の犯人が誰かわからないという問題が提示され、「犯人は一体誰だろう」ということに興味を持って見て行くことになります。一般的な人間ドラマの場合も、例えば主人公の娘と母親が対立することから物語が始まれば、「この親子の関係はどう修復されるのだろう」ということに興味が引かれるのです。親子の問題が解決されるためには、それぞれが自分の問題に気づくとか、それまで知らなかった相手の気持ちを知るとか、反省して態度を変えるとか、何らかの変化が必要です。知らなかったことを知ったり、反省したりすれば、普通人は成長します。変化とか成長は、ドラマの中で描かなくてはいけない面倒くさいことではなく、「普通そうなるでしょ?」ということなのです。
僕が脚本を書いた「結婚できない男」の場合、主人公は「俺はこのままでいい」と変化を拒絶している人物です。しかし周囲の人物と関わることで、不本意ながら少しずつ変化して行きます。だからあのドラマの場合も主人公の変化・成長は描かれているのです。

物語を把握するということ

Feb 14, 2013

CATEGORY : 脚本

前回書いたことの補足です。

映画の構成表を作ることの大きな目的は、物語を把握することだと書きました。把握とは、そこにあるものをしっかりとつかむことです。隠されたをものを掘り出して見つけるようなことではありません。「表面に見えている物語を把握するくらい簡単じゃないか」と思うかも知れません。しかしこれが意外と難しいのです。特に初心者にとっては。
僕は教室の生徒に「自分が書いた物語を三行で言ってみて」とよく言いますが、ちゃんと言える人はまずいません。さんざん考えたあげく、ピントのずれたことを言う場合がほとんどです。また「自分が書いた物語を箇条書きにして書いて」と言うと、みんな自分の原稿を見返しながらでないと書くことが出来ません。自分が書いた物語ですら把握出来ていないのです。まして他人が作った映画を一度か二度見て、その物語が何か把握するのは慣れないうちはそう簡単なことではありません。
「E.T.」(82年 スティーヴン・スピルバーグ監督)を例に考えてみます。この作品の物語を三行で言うと「主人公の少年エリオットが、地球に取り残された宇宙人と出会い、仲良くなるが、彼が宇宙に帰りたがっているのを知り、送り返してやる話」です。大事なポイントは、エリオット自身がE.T.を宇宙に送り返してやろうと行動することです。単に「宇宙人と仲良くなったけど、時期が来て帰ると言うので仕方なく別れる」というだけだったら、大ヒットするような映画になったでしょうか。把握するというのはそういう本質を含めて捉えるということです。
あと、三行ストーリーを考えるときに気をつけなくてはいけないのは、あくまで具体的に、ということです。この映画は何を描こうとしているかという抽象的なテーマと、物語とは違います。
こういったことを理解して、物語をというものを扱えるようになるには、やはりたくさんの物語を把握するという訓練が必要だと思います。

シナリオ&ドラマ フェスティバル」の開催が近づいて来ましたので、再度告知させていただきます。

日程・2月24日(日)

場所・めぐろパーシモンホール小ホール(東急東横線・都立大学駅徒歩7分)

時間・朝9時45分から夕方4時

尾崎将也はこのうち昼12時半から2時まで行われる「カフェ・ラ・テ」公開録音に出演します。

流れはこうなっている。で、何?(構成の勉強法・その2)

Feb 09, 2013

CATEGORY : 脚本

まず前回の補足です。映画の構成表を書くときは、シーンごとに簡潔に「場所はどこ、誰が何をする」と一行で書いてください。紙を二、三枚つなげたものに2時間の映画の内容が入るくらいです。時間の流れがひと目で見渡せることが必要なのです。追跡シーンのような短いシーンが連続するシークエンスは、シーンを逐一書いて行くとそこだけ行数が膨らんでしまうので、「追跡場面」とひとくくりにする方がいいでしょう。あと、始まって10分、20分と10分刻みくらいで印をつけておくと時間の流れがつかみやすくなります。

さて、とりあえず一本の作品の構成表が出来ました。まずはこの構成表をよく眺めてください。そして以下のようなことを確認して行ってください。「主人公は誰で、どこから登場しているか」「二番目の人物は誰で、どこで登場しているか」「主人公の物語が本格的に始まるのはどこか。それはどんな物語か」「物語が大きく転換しているのはどこか」「クライマックスはどこか」「主人公が困ること、苦しむことはどこでどんなふうに起こっているか」「逆にホッとするようなことや主人公が喜ぶことはどこで起こっているか」等々。さらに起承転結に分けるならどこまでが起でどこまでが承か。三幕だとするとどこが分かれ目か。みたいなことを、あくまで時間の流れを意識しながら、ああでもないこうでもないと考えて行きます。これとは別に登場人物の相関関係図を書いてみるのもいいでしょう。

この作業は、例えば子供が機械を分解して中身はどんなふうになっているのか見るのに似ています。その結果何がわかるかよりも、とにかく中身がどうなっているか見たい、そんな感じです。そんな作業をあれこれとやって行くうちに、あら不思議、ふと気づくとドラマの構成というものがわかるようになっている......などということはありません。「この映画は確かにこういう流れになっている。だから何?」という状態です。

とりあえずはそれでいいのです。この作業は「この物語はこんな流れになっている」ということを把握することが主な目的なのです。流れを把握出来ていることを確認するために次にやることは、「この物語を三行で言うとどうなるか」「この物語を10~15項目くらいの箇条書きにするとどうなるか」の二つを考えて紙に書くことです。物語を三行で言うのは一見簡単に見えて、なかなか難しいことです。不要な部分を徹底的にそぎ落して、一番肝心なことを抽象的でなく具体的に言うためにはそこで語られている物語の本質をきちんと把握している必要があるからです。それがきちんと把握出来ていれば、元の映画や構成表を見直したりしないでも、サラサラと三行ストーリーと物語を箇条書きにしたものが書けるはずです。それが出来なければ、まだ把握出来ていないということです。
そういう作業の結果、その作品の物語が把握出来た状態になります。「それでどうなるの?」と疑問に思うでしょうが、とりあえずはそれでいいのです。あとは出来るだけ多く様々な映画でこの作業を繰り返して行きます。
この作業をひたすら数多くこなしていると、だんだん物語というものや構成というものが「腹に落ちる」状態になって行きます。物語には「型」があります。どうやら型というものは知識やデータという形で身につくことはないようです。理屈ではなく「ここでこうなったら、次はこうなる。だって普通そうでしょ?」と自然に自分の中から沸いて来るようになるのが理想なのです。「起承転結はそれぞれ何枚くらい」というのは、書いた後で数えたらそうなっていたというだけで、最初から数字に合わせて書くようなものではないのです。

ここまで読んでも、まだキツネにつままれたような感じの人が多いと思うので、このへんのことは補足出来ることがあれば今後も書いて行きたいと思います。

ここ数回で映画の分析方法を書いてきましたが、これは、あくまで「尾崎将也はこういうやり方をしました」ということなので、これをやらないと脚本家になれないとか、これしか方法はないとかいうことではありせんので、念のため。ただし僕自身が脚本家になる上で、これらの勉強が大いに役立っているのは確かだと思います。

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