ストーリーはデジタル、人間はアナログ
以前、フォロワーの人から脚本における「変化」と「一貫性」の問題について質問を受けていたので、そのことについて考えてみます。
ドラマには「一貫性」というものが要求されます。物語の一貫性、人物の性格や心理の一貫性、テーマの一貫性など。しかしこれらは脚本を勉強する人にとって、わかりにくいことのようです。「一貫性」が大切という一方で、「人物は変化・成長しなくてはいけない」などとも言われたりするからです。実際、物語は展開し、当然色々なことが変化して行きます。一貫性と変化。この二つをどう整理をつけて考えればよいのか。
このことを理解するためには、「一貫性」と「変化」という言葉を使うより「デジタル」と「アナログ」という言葉を使った方がわかりやすいのではないかと思います。アナログは連続的に変化して行くことです。デジタルは、変化があるとしても「0」か「1」かというふうにギアチェンジするような変化をするようなことです。ドラマの中では、ストーリーは「デジタル」、人間は「アナログ」という言い方が出来ると思います。
例えば、ある主人公が詐欺にあい、全財産を取られて家族が崩壊してしまったとします。そこでこの主人公は詐欺の犯人を捕まえて復讐しようとするとします。この「主人公が詐欺の犯人を捕まえて復讐しようとする」というのはデジタルな設定として存在します。ドラマの観客は「これから主人公は犯人を追うんだな。たぶん最後には犯人を捕まえて復讐を果たすんだろう」と思って見るわけです。作り手の「この話をやります。見てください」というデジタルな設定に対して、観客は「わかった。それを見るよ」と思い、両者のやりとりが成立するわけです。これが「なんの話をやるのかわかりません」と作り手に言われると、観客も「じゃあ、見ていいかどうかわからないよ」と言うしかなくなってしまいます。作り手がデジタルな提示をすることで、初めて観客が「それを見よう」と反応出来るのです。(どういう話なのか全くわからないことで興味を引くやり方もありますが、例外的なものと言っていいでしょう)
一方、人間の心理はアナログです。そのときどきで変化します。復讐に燃えて行動していても、他に愛する人が現れたりしたら、復讐心が弱まったりします。逆にそれが何かのきっかけで再燃したりもします。やがて、主人公が犯人を突き止めたとします。「よし、復讐してやる」と思って犯人に接近する主人公。しかし犯人にも事情があり、必ずしも悪人ではなっかたことを主人公は知る。すると主人公の復讐心は揺らぎます。このように心理はアナログに変化して行くのです。
ところがこのとき、「主人公が復讐を目指す」というストーリーはデジタルに設定されたままです。このことは主人公の「俺は復讐すると決めたんだ。ここで引き下がるわけに行かない」という思いとなって現れ、一方で揺らいでいる復讐心との間で葛藤が起こるのです。この両者のギャップこそが、「復讐することは果たして正しいことなのか?」というようなドラマ性につながって行くのだと思います。
実例を挙げましょう。例えば「ローマの休日」。主人公のブラッドレーは、アン王女をローマの街を案内し、その写真を隠し撮りして特ダネにしようとします。これはデジタルなストーリーの設定で、彼はこの設定に従い、行動します。しかし王女をローマの街を案内するうち、彼女ヘの好意が芽生えて来ます。そして最後にはせっかくモノにした特ダネ写真を封印してしまうほど、彼女への好意が強くなっているのです。このときの彼の王女への気持ちはアナログです。あるとき突然ゼロから百になったりはせず、次第に彼の心の中でふくらんで行くのです。
また、ときには人物の心理がデジタルに急変することもあります。例えば愛する人に裏切られ、愛が憎しみに突然変化するとか。これは「裏切りを知る」というデジタルなストーリー展開に人物の心理が引きずられているということでしょう。そして憎しみ一色になったように見える人物の気持ちの中にも実は愛情が残っていたりと、アナログ要素は必ずあるのです。
この「デジタル」と「アナログ」の考え方は、他の脚本の参考書などでは見たことはありません。しかしプロはこういうことを無意識にやっています。生徒はこの点をちゃんと把握していないので、ストーリー上の設定と人物の心理の変化がごっちゃになってしまい、どこに行くかわからない、とりとめのない話になってしまったりするのではないかと思います。
[尾崎将也 公式ブログ 2014年8月25日]