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「ハコ書き」という問題

Apr 08, 2013

CATEGORY : 脚本

脚本を書く作業の中に「ハコ書き」というものがあります。知らない人のために説明しますと、脚本作りの作業は普通、「プロット(ストーリー)」、「ハコ書き」、「初稿」、「直し」というふうに進んで行きます。ハコ書きはストーリーが固まった後、脚本を書き出す前にやる作業で、シーンの並びと各シーンの簡単な内容(誰と誰が何をするみたいなこと)を書いて行くものです。構成表と言ってもいいでしょう。ハコ書きという名称は、手書き原稿の時代のハコ書きはシーンを四角で囲って書くことが多かったことから来ているそうです。でも書式が特に決まっているわけではありません。と言うのもハコ書きは本来人に見せるものではないからです。脚本家やプロデューサーによってはハコ書きを見せて検討するようなこともあるのかも知れませんが、ごく少数でしょう。
ハコ書きについて脚本家が悩むことは、どんなふうにハコ書きをやるかというより、そもそもハコ書きをするのか、しないのかということでしょう。実際、ストーリーが決まったらハコ書きはせずにすぐ脚本を書き出す脚本家は多いです。どっちみちシーンの並びやシーンの内容を決めないと脚本は書けないので、事前にハコ書きという形でそれをやるか、脚本を書きながら考えて行くか、という違いです。どちらが正しいということはなく、自分にとってどちらがやりやすいか、どちらがいい脚本が書けるか、ということです。

「作家の眼-シナオリとは-」(映人社、昭和51年)という脚本家のエッセイ集を見ると、ハコ書き否定派の人が割と多いようです。

「確かにハコ書きを作ると構成はガッチリとなっていくのだが、シーンとシーンとがどんどん論理的なつながりを増し、その分だけ感性が蒸発していく。"これじゃ干物だ"というのがぼくの実感だった」(早坂暁氏)

「構成の段階でラスト・シーンができているとすれば、何を骨折って枡目を一字一字埋めていくのか、私にはさっぱりわからないことだ」(石堂淑朗氏)

では尾崎将也の場合はどうかと言うと、ハコ書きは「しない派」です。でも上のお二人のような創作に対するポリシーのようなものとは少し違う気がします。単にハコ書きをしていても途中で面倒くさくなって、「えーい、もう書いちゃえ」みたいな感じになってしまうからです。もうひとつハコ書きをしない大きな理由は、やったところでどうせ後で変わるからです。僕の場合、ハコ書きをしたからといって直す必要のない完成度の高い脚本が書けるということはありません。むしろ四苦八苦しながら脚本を直す中でやっと「そうか、この話はこうすれば面白くなるぞ」ということを発見できたりすることが多いのです。これが「大事なことは脚本を書いて人物を動かしてみて初めて生れて来る」という本質的なことなのか、それとも「試行錯誤しないといいことを思いつかない」という物理的なことなのか、どちらなのかよくわかりません。脚本家の中には、プロットやハコ書きの段階で完成作品のイメージがほぼ出来ていて、「あとは書くだけ」みたいな感じの人もいるのだと思いますが、そういう人とは全く違うタイプだというのは確かなようです。
どちらにせよ、自分のスタイルが決まっていて、それで仕事が滞りなく進んで行くならいいのです。僕の場合も「しない派」でほぼ決まりなのですが、上に書いたお二人のように確信に満ちているわけではなく、「あー、ちゃんとハコ書きをしておけばこんな苦労しなくてもいいのかな」などと毎回うだうだと思いながら脚本の直しをしています。

〔尾崎将也公式ブログ 2013年4月8日〕

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