脚本には相対的な思考が大切
脚本を書くには、物事を「相対的」に捉えることが大切です。簡単に言えば色々な事柄を比較して考えるということです。
人間の心理は、比較対象の存在によって大きく変わって来ます。例えば10万円貰えると思っていたのに1万円しか貰えなければガッカリするのに対して、千円くらいを期待していたときに1万円貰えれば逆に嬉しい気持ちになります。また他の人がいくら貰うかで自分が貰った1万円の評価が変わります。みんなが10万円貰っているのに自分だけ1万円なら不満でしょうが、みんなが千円しか貰っていなければ1万円が嬉しく感じます。このように1万円を貰う嬉しさは絶対的なものではなく、他のものとの比較や前後関係によって変わって来るわけです。このメカニズムはドラマの中でも非常に重要な要素となります。
例えば、スーパーマンのようなヒーローがチンピラをやっつけても面白くありません。スーパーマンの敵は、世界を滅亡させようとするような強大な悪者でなければならないのです。スーパーマン自身が強いから、それ相応の相手が必要だということです。それに対して気弱な若者が闘う相手なら街のチンピラでいいわけです。
このことを書こうと思ったのは、生徒の脚本を読んでいて、相対的なものの見方が苦手な人が多いということに気づいたからです。例えばある生徒の作品では、主人公の女性がヤクザの親分と関わるのですが、この女性のキャラが気の強い女性に設定されていました。主人公の女性が強ければ強いほど、相対的にヤクザはあまり怖くなくなります。もしヤクザの怖さを引き立てたいと思ったら、主人公は気弱なキャラにすべきです。または強いヒロインによってヤクザがタジタジとなる様子を面白く描こうとするなら、脇役としてヤクザを怖がるキャラを出しておくことが必要になります(伊丹十三監督の『ミンボーの女』のように)。それに対してこの作品を書いた生徒は、気が強い女性のキャラを面白いと思い、それだけでその作品を書いてしまったようです。少なくとも「このキャラは気が弱い設定の方がいいのではないか?」ということに気づいて、気が強い場合と弱い場合でドラマはどのように変わるかを検証することが必要でしょう。
このように脚本を書く上では、縦方向・横方向に色々なことを相対的に比較検討して行く必要があるのです。既存のよく出来た作品は、当然こういうことがちゃんと考えられています。面白い作品を分析して、そのことに気づいて行かなくてはなりません。
[尾崎将也 公式ブログ 2014年6月7日]