「アットホーム・ダッド」はこうして生れた
前回、連ドラの企画が誕生する過程の話だったので、実例として「アットホーム・ダッド」(04)のことを書きます。尾崎将也の代表作は何かと言われたらやはり「結婚できない男」ということになると思いますが、「アットホーム・ダッド」は阿部寛さんとの最初の仕事であり、このドラマの成功があったからこそ「結婚できない男」が生れたわけで、自分のキャリアの中では重要な作品です。
このドラマの場合は阿部寛さんと宮迫博之さんの二人が決まっていて、この二人で何をやろうか、というところからスタートしました。まず出て来たのは、二軒の家が並んでいて、二組の夫婦とその子供が暮らしているというイメージです。夫二人は正反対の正確でウマが合わず喧嘩ばかりしている。妻同士は仲が悪いわけではなく、夫同士の喧嘩をハラハラして見ている。そんな状況の中でホームドラマを展開しようというものでした。仮のタイトルは「おとなりさん」。まだ「これで行こう」という感じではなく、これをとっかかりとして、これでいいのか、どこか修正するか、それとも根本的に別のものを考え直すか、ということをああでもないこうでもないと話していました。それなりに面白そうな気はするけど何か足りない気もしていたのです。
そんな状態のある日、みんなで話しているうちにプロデューサーがふと「宮迫さんが専業主夫をやっているとか......」とふと口にしました。次の瞬間、僕は「だったら阿部さんも専業主夫に......」と言いました。時間にすれば10秒かそこらのことです。この10秒間が「アットホーム・ダッド」という企画が生れた瞬間だったのです。
このアイデアが出ると俄然「これは行けるのでは」という感じになりました。宮迫さんは以前から主夫をやっている設定で、そこに阿部さん一家が引っ越して来る。阿部さんは仕事人間で、仕事が出来ないと男じゃないという考え方。だから主夫をやっている宮迫さんをバカにしているが、やがて自分が主夫をやるハメになる。この流れはスムーズに出て来ました。
割と苦労したのは、宮迫さんのキャラをどうするかです。ただ主夫をやっているというだけでは何かが足りないのではないかという意見が出て、音楽をやっているとか、小説家を目指してこっそり小説を書いているとかいう案が出ました。文句も言わずに主夫をやっている男性というのが何かキャラとして弱い感じがしたのです。でもあるとき気づいたのは、主夫をやっているからと言って「男」の部分を失っているわけではないのだということです。それを意識して書くことでことを、余計な要素を付け加えることをしなくも、キャラクターとして成立したのでした。
いずれにしても、あの10秒間の出来事がなければこのドラマはなかったわけですが、もう一度あれをやれと言われてもどうやったらいいのかはわかりません。「結婚できない男」と同じで、ひとつのドラマが生れるには、何か不思議な作用がどこかで働いているものだな、という感じがします。