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脚本作りは「鍋」だ

Jan 25, 2013

CATEGORY : 脚本

鍋は、他の料理に比べて作り手と受け手の区別が曖昧です。みんなで材料を持ち寄ったり、「これを入れよう」「もう少し××を足そう」などと言いながらみんなで作業をしたりします。そして結果をみんなで共有するわけです。
僕は、ドラマの脚本作りは「鍋」のようなものだと思っています。もちろん脚本を書くのは脚本家ですが、プロデューサーやディレクター、さらにはそのアシスタントにも意見を言う権利があります(主役クラスの俳優にも)。もし誰かが「こうしよう」とまずい意見を出して、それに対して誰も「それは違うよ」と修正することが出来なかったら当然脚本の出来はまずくなるわけで、みんなでそのまずい結果を共有するハメになります。もちろんその逆も真です。いい意見を出し合えば作品はよくなり、みんなが幸せな結果を共有出来るのです。
だから脚本家とプロデューサーの関係は、板前と客のように注文する人と提供する人ではなく、一緒に鍋を囲む関係に近いのです。おそらくちゃんとしたプロデューサーはドラマが結果的に失敗しても、「脚本家がヘボいせいでこうなった」と一方的に脚本家を悪く思うことはないでしょう。自分も一緒になって意見を出し合って作ったのだから、結果がまずければOKした自分にも責任があるからです。
小説家や漫画家と編集者の関係よりは、脚本家とプロデューサーの関係の方が共同作業の度合いが強いのだと思います。小説は、それ自体で作品として完結します。それに対して、脚本はそれが完成してもまだドラマが完成したわけではなく、そこから多くのスタッフや俳優が集まって、お金と時間をかけて作業をして、やっとドラマが完成します。このドラマの設計図に当たるものが脚本です。だから脚本に対して関係者が意見や要望を持つのは自然なことなのです。もちろん脚本のクオリティに一番責任を負うのは脚本家ですから、誰かの意見が違うと思ったら、「それは違う」と言うべきだし、「ではこうしよう」という結論が出るまでとことん話し合うべきです。だから色々な人の意見が入るからと言って、脚本家が脚本に対して主体性を持つことが出来ないということではないのです。
このへんは、ドラマ作りの外側にいる人(教室の生徒も)がよく誤解している点です。脚本は脚本家だけのものであって、プロデューサーと言えども指図するようなことは本来してはいけないことで、何か言って変更させるようなことは作品に対する冒涜であるというような感覚を持っている人がいます。以前、雑誌のインタビューを受けたとき「プロデューサーに直しを言われることはあるんですか」と聞かれて「もちろんありますよ」と答えると、「えっ、そうなんですか」と同情するような口調で言われたことがあります。それは脚本作りを理解していない人の言葉です。
僕は、それが誰であっても脚本をよくするための意見を言ってくれたらラッキーだと思います。たまたま打ち合わせに居合わせた下っぱのスタッフが「あのー、ちょっと思ったんですけど......」と遠慮がちに言う意見がときには役に立つこともあって、ありがたいことなのです。

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